タテガキ

7島津知子(「地に落ちて死なずば」)

2026/08/18 08:15 公開

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「話せないことについてはおだまり」とウィトゲンシュタインさんは話した
                          (枡野浩一『枡野浩一全短歌集』)



■評
 「語りえないことについては沈黙するほかない」。
 『論理哲学論考』をきちんと読んだことはなくても、あまりにも有名なこの言葉だけは知っているという人は多いのではないでしょうか。懺悔しますが自分もその口です。
 それを「話せないことについてはおだまり」と置き換えてしまうと、なんだか愉快なことになります。「それができないなら、あきらめるしかない」といった、やや消極的な態度から、「話せないなら仕方ないですね! 黙っててください!」と、ぴしゃりと意志を持って言い切る形になる。しかも「ウィトゲンシュタインさん」。妙に身近。ちょっとかわいい。話してる内容は辛辣なのに。
 さて、そもそもここで言われる「話せないこと」は、『論理哲学論考』における「語りえないこと」と、果たして同じ内容なのだろうか?

 「地に落ち」の各ヒロインが「ぼく」と会話する内容は、それぞれ明確な個性があります。(これは現在の彼女たちの個性のみならず、「暗君」の四妃の役割や立ち位置、嗜好が強く影響している面もあります)
 青佳さんは生活すなわち「これからを生きる」ことについての話が多い。正妻ぢからが強い。
 茉莉さんは「いままでの付き合いの長さ」を踏まえた話題を意図的に選択しているように見えます。
 アナリースさんは言うまでもなく時計の話。絶対何があっても滑らない話題かつ彼女の主武器なので仕方ない。
 そして知子さんは、思想にまつわる話が多い。
 社長が言うところの「小難しい、カンヌ映画祭とかに出展される映画の一シーンみたい」、もしくは茉莉さん評するところの「いかにもかぶれた文学部生」な会話なわけですが、知子さんの口から出ると一定の重みがあります。それはゾフィ妃がその生涯で背負ったもの故であり、同時に社長が「青、黒、灰褐色のコンポジション 1」で指摘したとおり、彼女が「島津知子」であるが故に背負っているものがあるからなのだろうと思います。
 その一例として、「いいおうちのかわいい女の子」であるところの彼女は、他者(主に年長の男性)から見くびられることに慣れています。
 ですがそれは、彼女が何も考えていないことを意味しません。そして同時に、彼女がいつまでも寛容な態度でそれを見逃してくれる保障も一切ありません。銀座のブティックでそうしたように、いつでも相手を優雅かつ徹底的に叩きのめすことができる能力と強靭さを彼女は備えています。彼女が「女の子」の枠におさまっているのは、彼女が「あえて言わない」ことを自分自身で選択しているからです。

 どんな世界の誰に生まれつこうとも、人が完全な自由を得ることなどそもそもあり得ません。
 しかし「島津知子」として生まれ、ここにいる彼女は、それを当然知った上で、それでも己の良しとするところを自ら選び、力の限り生き抜いていくのだと思います。