序 父の物語
第10話 帝政ノーレムリア
2026/06/21 01:47 公開
背の高い赤煉瓦造りの建物に四方を囲まれた中庭、一団の男たちが所在なげに屯している。
彼らが身に纏う外套は黒や茶の着古したもの。くすみ擦り切れ、継ぎを当てられた布地には、統一された意匠など一切ない。無秩序に、偶然に集った人々——群衆とすら感じられる。年齢とて幅広い。肌に生気溢れた若者から白髪をふんだんにまぶした初老まで。
ゆえにただ一つ、男たちを同質の存在、つまり一個の〝集団〟と認めうる徴があるとすれば、それは皆が一様に肩から提げた長銃くらいのものだ。
石畳が敷き詰められた空間の中央近く、男たちは即席の焚火を囲む。
彼らが属する「党」の実働部門である〝前衛〟が臨時宿舎として接収したこの優美な建造物。ニコビルグ市街を貫くヴォル河の岸辺に建てられたそれは、かつて帝立女学院の校舎であった。
男たちはこの学びの園から貴重なものを得た。貴族の娘たちの目を楽しませるべく贅をこらして仕上げられた木彫りの内装や机、椅子、そして書籍の類いである。彼らはそれらを目に付いた端から中庭に引きずり出し、愛用の斧でたたき壊し、それらがかつて在った様態に帰した。木片に。
そして火を付けたのだ。暖を取るために。
ノーレムリアの冬は過酷である。
夕暮れ前の一時、二つの影が男たちの集団に歩み寄る。一つは巨大であり、一つは細小であった。
それは一組の男女である。男女ともに足取りは確たるもの。堂々と地を踏みしめる。
連れだってやって来た女を後方に残し、男は人々の輪に向けて歩を進める。集団は割れた。彼の行く手に道を創らんと。
彼は自身の両脇に自然と列をなす兵士たちに声を掛けていく。親しげに。
低く、深く、重い声だ。それは余人になんとも言えぬ感情を想起せしめる。言葉とすれば陳腐ながら、それは明らかに「慈父」の類型、現実には存在しえぬ観念そのものである。
長身の分厚い身体はあたかも堂々たる大木のごとく在った。目元に刻まれた深い皺は、雄々しく屹立した鼻梁を殊更に際立たせる。壮年と老年の境目にありながら、その黒い瞳は驚くほどの生気を秘めていた。
「ボリシェール! どうされました?」
「君たちと火に当たりに来た。同志」
兵士たちと同じく粗末な綿の外套に身を包みながら、男の存在はその場において明白に際立った。櫛を入れず乱れた黒髪をかすかに揺らし、彼は答えた。自身を見上げ、問いかける若者に。
「ねぇボリシェール! ぼくたちにも出番がありますか? 光輝ある大義の〝隊列〟となって、あの悪徳の巣を破壊する役目は、ぼくたちに!」
「もちろんだ。もちろんだ。〝前衛〟の諸君! 〝党〟と正義のために、人の世の進歩のために、諸君こそがまさに文字通り前衛となる。その手に握る斧を存分に振るう機会は近い」
男はその巨大な手のひらを、まだ少年と称しても問題ないほどに年若い兵士の肩に置き、軽く叩いた。
そして一歩、大股で踏み出す。炎の方へ。
「我らが大木も、さすがにこの寒さは堪えますかいね!」
ほど近く、火元に手のひらを掲げて暖を取っていたひげ面の男が、若干のからかい混じりにそう言い放つ。
「そうだな、同志。なんともひどい冬だ。だが、ほどなく栄光の冬となる。……景気づけに、少し燃料を足そうか」
何気ない口ぶりとともに、大木のごとき男は、外套の懐から一冊の古びた帳面を取り出した。
そして腕を一振り。
無造作に投げ込んだ。炎の中へ。
「そんなちっぽけな代物じゃ足りませんや! 全然! おい! もっと薪を入れろ」
立派な黒髭の男は集団の中でも古株らしく、周囲の兵士に大声で指示を出す。
「きみの言う通りだ、同志。全然足らんよ。全く」
ボリシェールの言葉は対話の一部を為しながら、半ば独語の如くあった。
彼は数度、剥き出しの手をこすり合わせた。炎の前で。その熱を決して取り逃さぬように。
そして踵を返すと、来た道を辿り、後方に控えた副官の元に歩み寄る。
「もうよろしいですか? ボリシェール」
「ああ、もういい。すっかりいい。これでいい。カーシャ」
小柄な男性向けに仕立てられた外套に身を包んだ女——カーシャは、その明るい茶の髪を几帳面に結い上げている。歯切れの良い口調と実務的な装いは、本来女が持つはずの柔らかな曲線を見事に押し殺していた。その冷えた鋭い佇まいは男の纏う鷹揚な空気と対極をなしつつも、不思議な調和を見る者に感じさせる。
「では室内へ。ボリシェール。そろそろ使いが着く頃合いです。おそらく吉報の」
男は頷き歩き出す。
しかし、少し進んだところで思い直したかのごとく、おもむろに立ち止まり、再び兵士たちの方へ振り返った。そして高らかに述べた。
語った。
「同志諸君! 同志諸君! 明日、前進があるだろう! 明日からは、我らこそが主役となる。明日をもって、我らはすべてを手に入れる。——ゆえに今夜はよく眠れ! よく休め!」
背後に景気の良い歓声を受けながら、男は元来たとおり、中庭の回廊へ消えた。
◆◆
(承前)
今日の我が国が誇る精緻な官僚機構、明白な真理の守り手たる精強な軍、完璧な生産計画に基づき効率的に運営される重工業と比して、十九期中葉のノーレムリアのそれらはまさに旧弊にまみれ、腐敗し、今にも朽ち果てんとする古木のごとき有様であった。
頑迷な古史的身分制が幅をきかせる不正な社会である。精神的迷妄の最たるものであるレムリア正教会の坊主と、これまた人間的不正の象徴たる貴族が国土の隅々までを不当に所有し、そこに生きる全ての人民を不正に支配していた。これら唾棄すべき「僭称された支配階層」の総人口に対する割合は一割に満たない。つまり、せいぜい百年ほど前まで、我が国の状況は「歴史階梯進歩説」によるところの第三段階にあたる「封建遺制」のただ中にあった。
本来的様態において自由であり、かつ皆等しくあるべき人民。ノーレムリアの真の主人であるべき彼らを不当にも支配していた教会と貴族の親玉こそがレムリス朝の皇帝に他ならない。帝政ノーレムリア。耳にするだけでも怖気を振るう醜悪な名を、我が国は暴威によって強制されていたのである。
これらの見解が明白な真理であることは、先の「党」大会議で発議・承認され「党」が正当に実施する〝真理としての歴史〟計画における当該時期の評価からも明らかである。にもかかわらず、近年、一部の知識人が明白に誤った個人的見解をあたかも「新たに発見された真実」であるかのように喧伝し、誠実に真理を求める人民に迷妄を吹き込もうとする事例が散見される。このような反党的知識人の言説とはつまり、十九期中葉に当時の皇帝ニコルス五世が断行した一連の政策を好意的に評価するものであった。
一八五〇年、ニコルス五世が発した「臣民の身分に関する勅令」に端を発する一連の政策——隷農解放は、「正しい歴史」を未だ学ばぬ人々が見れば確かに開明的と感じられるかもしれない。我が国の宿痾であり人類悪である奴隷制の解消を目指したものであるかのように誤解する余地が、その字面にはあるからだ。だが、これこそが憎むべき「資本寡占者」お得意の詐術である。
かの「隷農解放」は、全く実態を伴わぬ、耳に心地よいかけ声に過ぎなかった。
第一に、その動機からして実にお粗末な、帝政の特徴たる皮相そのものであった。西方諸国の「資本寡占者」にこびへつらい、我らもまた西方の汚らわしい「仲間」であることを主張するために、それは行われた。
第二に、例の反党的、反真理的知識人たちが主張する「評価すべき一面」など存在しなかった。書面の上では確かに隷農は解放された。だが、あくまでそれは書面の上での話である。隷農たちは「人」であることを認められたが、土地の所有(歴史の最終段階に足をかけた現在の我々にとっては無価値であるが、その前段階である資本寡占制の時代にあっては重要な概念、権利であった)も移動の権利も全てが有償であり、付けられた値段は巧妙に、彼らが決して支払うことができぬ高額に設定されていた。ニコルス五世とその代理人たる狡猾な官僚たちは、哀れな元隷農の味方を装いながら無知な彼らに金を貸し付け、当然のごとく利子をむさぼった。時の官房で権勢を振るったのは、いずれも国内有数の貴族や資本寡占者であった。
第三に、隷農解放は帝政に疑問を呈する真っ当な人民に罠を仕掛け、無辜の罪に陥れる「撒き餌」の機能を果たした。皇帝の番犬たちは狡猾にも、「真の階級的平等」を願う人民の指導者たちをおびき寄せ一網打尽にしたのである。
ニコルス五世が誇った〝開明的〟官房を支配した「寵臣」達がどのような存在であったかを見れば、当時我が国に横行した卑劣な詐術について「正しい」理解に達することが出来るだろう。
ニコルス五世の宮廷にあって宰相位を占めたカリヨランは由緒正しい(つまり、それだけ長きに渡って人民を虐げた)侯爵家の当主である。この男が成したことといえば、帝政最大の失態の一つ「海の戦争」において、我が国固有の領域たる内海の支配権を西方諸国に売り渡したくらいのもの。つまり売国奴である。
国家の財政を握ったオーリフは、愚かなレムリス朝の皇帝と取り巻きが招いた敗戦の穴埋めとして、思いつく限りの多種多様な臨時税をでっち上げ、人民の生き血を啜った。加えて言うならば、この男の出自は我が国のものではない。二世代ほど前にかの卑劣な商人の穴蔵たるレフ王国から移住してきた根無し草のよそ者である。つまり典型的な反動的資本寡占者の末裔である。
内務官房と帝国中核州の総督を兼務したブラーギフに至っては、前二者にもまして悪辣な人間であった。カリヨランやオーリフが「資本寡占者」「反動主義者」であることを隠さなかった一方で、この男は恥も外聞も無く「平等主義者」を装った。虐げられた人民の理解者を装い柔和な笑顔を浮かべながら、背に回した右手には恐ろしい刃物を握りしめ、その卑劣な擬態を信じた正義の活動家たちを容赦なく刺し殺した。その犠牲者は優に一千名を超える。この者こそがまさに秘密警察——屠殺人の親玉であった。
ニコルス五世の詐術的治世に正義の鉄槌が下された後、我が国に吹き荒れたのはさらなる反動の嵐であった。しかし、その嵐の醜悪さから逆算して、以前の体制を微温的に評価するがごとき姿勢は明らかな倒錯であるといえるだろう。大なれ小なれ悪は悪なのだ。
「党」の指導による社会の前進は決してその歩みを止めることはなく、道を過つこともない。この明白な事実に照らしたとき、旧体制の、人民に対する媚態を帯びた擦り寄りを評価するがごとき行為は断固として、明確に、全て断罪されるべきであることは異論を俟たない。
『正義と真実』一九一〇年五月刊・論説・抄