序 父の物語
第9話 アレクス、マクシム、エリーナ
2026/06/20 00:47 公開
かつて生きた日本において、私は神を信じたことがなかった。そしてここノーレムリアでも心境に変化はない。
ただ、自分でも意外に思うのだが、気に入ってはいる。そう。私はレムリア正教が好きだ。
世界の中心に聳える巨大な木からこの世の真理が絶えず放射されているとか、死後は神の御裾に抱かれるとか、そういう寓話的な部分はさておき、教義の根本にある素朴な感覚を私は愛する。
正教は、私たちの人生を一編の「物語」であると教える。そして、個々人の「物語」が糸となり、編み込まれて、さらに大きな世界の「物語」が形成されるのだ、と。ひょっとしたら君たちの母は神の現し身なのかもしれない。彼女は驚くほど巧みに繊細なレースを編み上げるから。
冗談はさておき、この「物語」の考え方はとても優しいものに感じられる。私たちの人生は山あり谷ありだ。世間一般の基準に照らしたとき幸福だったと思われるものもあれば、不幸だったと思われるものもある。幸不幸の定義について考察するのは止めておこう。私はそういう類いの学問——哲学には疎く、また興味もない。
とにかく、内容がどうあれ、「物語」はそこに存在する。幸せな結末が描かれた小説も悲劇に終わるものも、結末の如何にかかわらず、作品自体の存在にはなんらかの価値がある。つまり正教の教えとは、私たちの存在自体を肯定してくれるものだ。
君たちも知るように、私たちは挫折した。
ニコビルグ恩賜大学の中庭で語り合った理想は後退した。
私たちの中心にあって、この国を前進させようと意思した賢帝ニコルス五世は死んだ。あっけなく暗殺された。
彼の死と共に私たちの役割も終わった。
アレクシスは宰相の座を退き、ヤシクは官房を退き、私は中央四州総督の職を辞した。私たちが全力で押し上げ転がしてきた巨大な岩は、いつしか元あったところへ転がり落ちつつある。開明帝ニコルスは開明的であるがゆえに爆殺されたのだから、開明的であること自体が悪となった。
正直に言えば、途方もない徒労感がある。
だが、これが歴史だ。
私は君たちに、こことは別の世界——地球という星の歴史を大方語った。進みは戻り、また進み、それを繰り返す。進んでいたと思ったら実はそれが勘違いであったり、人々がよかれと思ってやったことが、かえって大惨事を招いたり、驚くべき災厄が後の発展を促す切っ掛けとなったりと、見通しの読めない波瀾万丈の物語だ。
この荒れ狂う、無秩序な濁流を前にして、我々人に何が為しうるだろうか。
◆
〝嘆きの日には我を呼べ。さらば我、汝らに物語らん〟
この聖句を君たちも学校で学んだだろう。
ここに何らかの手がかりがあるかもしれない。私たちが生きるための。
聖句が示す〝我〟とは明らかに「神」のことだが、私やヤシク、アレクシスが呼んだのはニコルスだった。
開明帝。賢帝ニコルス五世。理性的で寛大な君主。
だが時に、その演技に耐えきれず腹立ちが過ぎると私たちに八つ当たりをする。酒を飲みながら。そして翌日、決まってばつが悪そうにもごもごと謝ってくる。彼は君主であると同時に、ごく普通の男だった。少なくとも我々の前にあっては。
彼は大鷲の家の主として立派に振る舞った。我が国の伝統を心から愛する——頑迷とも思われるほどに——正教の僧侶達ともうまくやった。ノーレムリアの輝かしい歴史と偉大な正教を決して邪険にはしないと、ことあるごとに明言した。
その一方で、私たちと密室で計画を練った。かつて大学でやったように。ノーレムリアの輝かしい歴史をさらに輝かしいものにするための計画を。これまで記してきた平民のための小等学校設立に加えて、官房から独立した諮問会議の設置など、本当に色々なことを。
若い頃の私が見いだした通り、彼は先祖ニコルス大帝とは異なる性格を持っていた。彼は状況の均衡を保ちつつ、徐々に変化をもたらしていく。逆らう者を有無を言わせず縛り首に出来た三百年前と今とでは事情が大きく異なる。だから彼の姿勢は現代の流儀としては最適のものだったはずだ。
ゆえに私たちは、彼に全てを託した。だが彼は死んだ。
私たちは「物語」の語り手を失った。そして今、我が国は反動に向かっている。その様を横目に眺めるとき、私は恐ろしい徒労感に襲われる。私たちは無力だ。
結論を示そう。
人が一人で国家を、あるいは世界を変えることは叶わない。それは物理的に不可能であると同時に、倫理的にもよろしくない行いであるように思われる。人は人にそのような重責を負わせるべきではない。人はそれに耐えられない。精神的にも肉体的にも。
それを背負った我らが皇帝を見てみるといい。少なくとも彼の肉体は耐えられなかった。馬車の下に仕掛けられた粗製の爆弾、その暴力に。中央大陸史上初の「テロ」だ。私たちの生きるこの時代において〝魔力〟なるおとぎ話の力は肉体を守ってはくれない。ノーレムリアにおいて最大の魔力を誇るとされる皇帝すらも、火薬と金属片に切り裂かれ、あっけなく一個の肉塊と化した。つまり、私の友人ニコルスはただの人だった。
にもかかわらず、頭ではそれを理解しながら、私たちは結局どこかで他人に寄りかかった。私たちが呼んだ「人」。その人が亡くなった後、私たちは抵抗しなかった。折れてしまった。自分たちのものであったはずの「物語」を、自らの言葉で他者に語ろうとはしなかった。皇帝暗殺という史上初、前代未聞の不祥事を前にして茫然自失、さしたる抵抗もせず、すごすごと舞台から降りてしまった。
これこそが私の後悔だ。
だから君たちには同じ轍を踏んでほしくない。
社会の中で適度に和しつつも、自身の言葉で、自身の「物語」を語ってほしい。
残念ながら、明白に失脚したブラーギフ家に生まれた君たちが官房で出世することは叶わないだろう。だが、それでも、君たちが考え、善いと思ったことを、どこであれ、誰に対してであれ、語り続けてほしい。誰かを呼ぶのではなく。誰かに託すのではなく。
木々も家も、山すらも押し流してしまう濁流を前にして個人は無力だ。しかし、それでもなお、皆が自分の物語を語り続けることには意味がある。いつかその声が縒り合わさって編み上がり、新しい流れを作るだろう。
この覚え書きの冒頭、親から子への教育は親のコンプレックスに端を発すると書いた。今、私は自覚している。私もまたそうだった。かつて日本に生きた私は何も遺さなかった。だからこの地においては何かを遺そうと願った。何か善きものを。
私が遺すものは広大な領地でもなければ美名(残念なことに、現在において私の名は呪われてしまったが)でもない。
私は自身が持つ知識をすべて君たちに伝えた。遺した。それはきっと君たちの生に役立つだろう。君たちが語り続けることに。
アレクス・ボリジチ
マクシム・ボリジチ
エリーナ
私の子ども達。
◆
日本における私の死は唐突にもたらされた。
その日最後の授業を終えて職員室に戻るため、二階の渡り廊下を歩いていた。放課後が始まり、生徒があふれ出す。
都心の一等地、ビルの森林の中に見事にも開墾された校庭はノーレムリア興りの地を想起させる。
私は憂鬱だった。この後に控えた教務会議は心底うんざりするものだったから。
小さくため息をつき、立ち止まり、窓の外を見た。
私の瞳が何かを見たのはそれが最後だ。閃光と割れたガラス。身体が感じたのは多分風圧だろう。
何が起こったのか、私はよく分からなかった。
いや、意識が途絶える最後の瞬間、明らかに理解していた。もう何年も前から、可能性は常にあったのだから。ついに私の所にも順番が回ってきた。それだけの話だ。
私は最後まで歴史の教師だった。
この死こそは私たちの社会、あるいは世界が歩んできた歴史の最先端、その一ページである。だが、決して最後の一枚ではないと確信しているからだ。
私たちのこの時代も、戦争も、いつか歴史となって、その後には再び善き日が訪れるだろう。死の際において、私は確かにそう感じていた。つまり希望を。
今、ノーレムリアにおいて、死はまだ感じられない。希望すらも、まだ。
唯一感じるのは、この耐えがたい頭痛だけだ。
私は今回もまた、同様の感慨を抱いて死んでいくのだろうか。
多分違う。私はよりましな何かを胸にこの世を去るだろう。そう確信している。
アレクス・ボリジチ
マクシム・ボリジチ
エリーナ
私の子ども達。
私がかつて生きた世界のある宗教が、経典の中にこんな素敵な言葉を残している。私は幼い頃、その一節を父から教わった。だから私も君たちに、最後にそれを伝えよう。
——誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。