タテガキ

第二章 旅

9緑壁

2026/04/20 14:41 公開

縦書きリーダーで読む

「これが緑壁……。なんてきれい!」
 アポリアの驚嘆が軽やかに跳ねた。
 男の背を幾重にも縦に連ねたよりもなお高く、木々はそそり立つ。地を疎らに覆う緑草は柔らかく、人の歩みを遮らない。今はまだ。
 それは果てしなく続く円柱に支えられた巨大な会堂に似ている。枝葉がかけた天然の屋根を通して初夏の陽光が不規則に降り注いだ。
 男の数歩先を行く少女にとって、村の周囲に密生した低木の群れ以上のものを見るのはこれが初めてのこと。興味深げに右へ左へ視線を飛ばす様はリュクルスの心内に意外な感情を想起せしめた。

 ——これではまるで、何も知らぬ子どものようだ。
 ラケディアの戦士から幾ばくかの敬意を引き出すほどに堂々たる佇まいを見せたはずの女は、今や元気を持て余して道端を走り回る女児さながらに、あちらへこちらへ、前へ後ろへと絶えず動き続けていた。
「緑壁といっても、ここはまだ境界域だ。ある程度は人の手が入っている」
 ペルピネの平原に蓋をするようにそそり立つ緑の壁——緑壁が、その周縁部に人の侵攻を受けだしたのはもう大分前のこと。近圏に点在する村の隷民達は、大木を裁ち、運び、木材として加工する。それらは従民の都市、あるいはラケディアに貢納品として運び込まれる。ラケディアが良質な鉄器を領内でまかなうことが出来る理由の一端がそれであった。
「では、ここはまだ〝人の世界〟なんですね」
 華奢な両手を精一杯広げ、少女は軽やかに一回転する。一瞬の日差しが金の髪を照らし、儚い光の輪を残した。
「日々〝間引き〟を行って何とか維持しているに過ぎないが。止めればすぐにでも、ここは魔物ど
もの住処と化す」
「でもリュクルス様、果断にして無敵のラケディア戦士様。〝間引き〟だなんて、なぜそんな回り
くどいことをするのですか?」
 アポリアの言に皮肉の色はない。純粋に疑問を投げかけたに過ぎない。ペルピネのみならず世界にその名を轟かせる精強なラケディアの〝隊列〟ならば、魔物など一掃するのはたやすいことではないか、そう考えたのだ。
「〝隊列〟にとって、この森はおよそ最悪の戦場だ。隊列の強さは市民の堅固な連帯によるものだが、この入り組んだ木々の元では、それがあだになる」
 四人の横列を縦に八つ並べて構成されるラケディアの〝隊列〟は、その優れた戦士育成の成果として圧倒的な推進力を誇る、いわば人の槌である。敵と対する最前は一切の怯えと動揺をもたない。頑丈な——そして幾分か鈍感な刃のごときそれを、後列の戦士達が前へ前へと押し出していく。円盾の連なりから顔を覗かせた幾多の長槍が、肉を圧し斬る牛刀のように、敵の脆弱な肢体を引き裂いていく。
 ペルピネ、あるいはその周縁の〝蛮地〟においても、〝隊列〟に似た軍団を組織する都市は数多くあるが、ラケディアのそれに適うものは存在しない。
 隊列の強さは縦列各段の信頼関係によっている。最前の兵士が一度でも臆すれば、組織は一気に瓦解する。敵に背を見せ逃走を図る者にとって、後列は自分を死地に追いやる「敵」に等しい。横に逃れるか、あるいは逆進を試みるか。いずれにしても運動力は霧散してしまうだろう。
 ラケディアの隊列は縦と横の信頼を保ち続ける。隣を歩む戦士が卑劣な行いをするはずがないと信じる。前列は後列の支援を信じ、後列は前列の勇気を信じる。彼らは一つ屋根の下で暮らす仲間であり、ラケディア、麗しの都市において同等の市民であった。

 だが、ラケディアの精華ともいえる隊列はその堅固な連帯ゆえに、木の円柱にひっかかってしまう。三十二人の長槍を抱えた男達が纏まって自由に動けるほどの空間はここには存在しない。
 ゆえにラケディアは「間引き」を選んだ。隊列から選抜された三から五名の戦士達が〝小隊列〟を作り個々に魔物を処分していく。正規の隊列には加えられない女性も、この〝小隊列〟に属することは間々ある。
 ラケディアは女に対して「戦士の母」たることを強く求めた。つまり敵を屠るとはどのようなことであるか、それを実感する者であることを。頑強な母体を育成するためであれば、多少の非効率はやむを得ない。猛きマヌに嘉された都市はそう考えた。

 リュクルスはふと、自身が行った最後の〝間引き〟を思い出した。あれから半月も経たぬうちに彼が属する〝小隊列〟は驚くほど変わった。
 ——あのとき、おれの僚友は獅子の如きパレイオスと美しいエイレーネだった。それが今や、貧弱な隷民女と役立たずの子羊を引き連れている。なんとも、偉大な〝執政官アルカン〟に率いられた〝小隊列〟だ。
 兜の下で口元を軽く歪める。生来木石の如き青年には珍しい表情であった。苦笑という。
 しかし、彼らの歩みはまさにその偉大な〝導き手アルカン〟によって、図らずもかき乱されることとなっ
た。常ならば二人の側を決して離れない子羊だが、いつの間にかその姿が見当たらない。

 つまりリュクルスはここ——戦場において最悪の状況に陥ったといえる。
 軍の指令を発する〝執政官アルカン〟を見失うという。

 ◆

「リュクルス様、ほら、ここから続いています」
 途方に暮れた青年を助けたのは不本意な小隊列の僚友アポリアだった。
 彼一人であれば到底不可能なことであった。アルカンが残した蹄の跡を発見するなど。
 剥き出しの大地に刻印されたハの字型の楕円を目にしたところで、それが羊の足跡であると青年には判別できない。彼は家畜の蹄など興味を持ったこともなければ知る必要もなかった。彼はラケディアの戦士であった。
「よく見つけたな」
「わたしだって、時にはお役に立ちますよ?」
 得意げに自身を見やるアポリアに、彼は知識の出所を尋ねたりはしなかった。必要を感じなかったがゆえに。そして、それを厭うたがゆえに。
 男の心内を見透かしたかのように、少女は静かに語りかけた。
「アルカンを抱き上げた時に、ときどき足を触っていたんです。すべすべして気持ちいいんですよ」
「あれは嫌がらなかったか?」
「多分。でも、嫌だったとしても仕方がありませんね。抱き上げられてしまったら、もう逃げられ
ません」
 またも当てこすりかと疑うが、男が観察する限り、横を歩く少女の表情は歳相応のものだった。少し悪戯めいた笑みを浮かべて。
「それがあいつに与えられた〝物語〟というわけか」
「はい。わたしに抱き上げられてしまったら、それを受け入れるしかありません。かわいそうなア
ルカン」

 ——かわいそうなアルカン。
 言葉は一つの旋律として脳内に響いた。彼は反芻する。かわいそうなアルカン、と。
 少女の言葉は存外に深く彼の意識に食い込んだ。

 つまるところ、燔祭の羊とは餞別である。共同体に貢献した戦士に与えられた最後の褒美、最後の食事なのだ。
 遣いとして選ばれた戦士は緑壁に到り、その中で死ぬ。方角も定かならず水場も知れぬ森の中で、魔物どもの領域で、生き残ることは明らかに不可能だ。飢えがもたらす狂乱に至る手前、ラケディア市民としての誇りを保ちうる限界点において、戦士はそれを捌くのだろう。
 解体し、毛皮を剥ぎ、火をおこし、焼く。
 その香気は天に昇り、マヌ神を喜ばせる。かくして使命は果たされる。ケイデーの山頂とはいかないが、場所がどこであれ羊を捧げたことにはかわりない。そして戦士は焼けた肉を食うだろう。それが最後の食事だ。次に為すことは——恐らく自決である。
 全ては想像に過ぎない。だが、リュクルスは今、まさにその過程を体験しているのだ。通常〝間引きの仕事〟では欠かすことのない帰還用の目印を彼は一切作らなかった。その旅に必要がないものであったからだ。
 緑壁に足を踏み入れる前、小さな隷民の村の前で、彼はアポリアを解放しようとさえした。わざわざケイデーに赴かずとも、少女の言が虚偽のものであれば、いずれ罰が下される。その場が山頂であるか、あるいは名もなき隷民の村であるか、ただそれだけのことだ。しかし、同族でもなく、痩せて子も産めそうにない女を生かしておく余裕など村にはないだろう。遅かれ早かれアポリアは死ぬ。

 果たして彼女は同行を選んだ。
「そうあるように定められているからか?」
 彼の無感動な問いに少女は答えた。
「はい。だって、わたしがそう決めたのですから、それは定められていたことになります」
 彼は何も言わなかった。

 少女はアルカンの足跡を辿り、楽しげに歩く。弾む歩幅がそれを伝える。
 リュクルスは理解していた。その一歩一歩が生から遠ざかるものであると。緑壁に足を踏み入れた当初から、目的地に到るための計画など何もなかった。だが、先刻までは一つの可能性があった。ラケディアの領域へ引き返し、どこかの村に隠れ住むことができた。それは唾棄すべき行為、麗しの都と市民の誇りを捨てる行為である。彼の生が依って立つところのものを。
 彼がその選択肢を採用することはありえないだろう。だが、少なくとも可能性は存在した。

 それが今、消失した。
 彼らは緑壁周縁部の中程に達しつつある。〝間引き〟においても滅多に足を踏み入れることはない深部。円柱の密度が目に見えて増していた。

 ——かわいそうなアルカン。
 子羊の末路も定まった。リュクルスと少女が見つければ、彼は食われる。うまく逃げおおせることができれば、つかの間の生を得る。しかしいずれは野垂れ死ぬ。同族はいない。野生の肉食獣が彼をたやすく引き裂くだろう。

「リュクルス様? どうしましたか?」
 思考の沼に腰まで使った青年の意識を少女の声が引き上げた。

 ——リュクルス様、か。おれに「様」など付ける者はいなかった。ラケディア、麗しの都においては、おれたちは皆等しく市民だった。

「なにもない。ところでおまえは、なぜおれを名で呼ぶ」
「いけませんか?」
 彼にはそれが酷く空しいものに思われた。彼はここで死ぬ。女もここで死ぬ。森を彷徨った末、腰袋の水を飲み尽くして乾きに苦しむだろう。そして限界に至る。
 リュクルスは「最後」を迎える手順を予め考えていた。
 まず女を殺す。痛みを与えることなく首を落とすには、彼に余力がなければならない。首骨の切断は存外力を要する行為だからだ。よって自身の力と正気が保たれているうちにそれを為す。無事その仕事を終えたら、時を置かず自裁する。愛剣で喉を突いて。
 つまり、ラケディアの領域を離れ、避けようのない死を前にして二人は同等の存在であった。緑壁に踏み入る前であれば思いもしなかったことだが、今の彼にはよく馴染む考えだ。
「かまわない。だが、敬称は必要ない」
「なぜですか?」
「ラケディアの市民は常に同等の存在だからだ」
 突如、少女が足を止めた。
 その変容はこの世のものとは思われぬほどに壮絶である。先刻無垢に、軽やかに歩いた少女が、今はその瞳に凄惨な色を湛える。嗜虐の。
「でもリュクルス様。わたしは市民ではありません」
 男が辿り着こうとする「最後」を彼女は嗤っていた。彼は少女の瞳の中に意図を見た。死を前にして、市民も隷民もない。そんなことも分からなかったのか、と。にもかかわらず、ラケディアの誇りを謳い、幾多の人を手にかけてきたのか、と。
「では言い直そう。——おれの方がラケディアの市民ではなくなったのだ、と」
 リュクルスの返答が予想と大きく外れたのであろう。女は虚を突かれたように黙り込む。そして間もなく一つの笑みが浮かびあがる。繊細な、小さな、薄汚れてなお白い頬に。
 柔らかく引き上げられた口の端に嘲りはない。めまぐるしく変わる女の表情を小さな驚きをもってリュクルスは眺めた。
「それは素晴らしいことですね。——リュクルス」
「ああ。それでいい。アポリア」

 ——恐らくこの女は三日と保たないだろう。
 彼はそう予測している。自分一人であれば場合によっては十日程度は生き延びられるだろうが、女の身体は男のそれよりも遙かに脆弱なはずだ、と。

 アポリア。
 青年の声が届いたとき、少女の顔は再び変化を遂げた。
 笑みの成分は霧散した。底冷えするような青い双眸が白い肌の海の上にぽつりと浮かんでいる。

「では、わたしのことも名前で呼んでください。本当の名前で。——アポリアはわたしの立場を表
す呼び名にすぎません。イリスの民の祭司、〝解を持ち得ぬ謎を伝える者〟。その娘という」
「おれが〝ラケディアの市民〟と名乗るようなものか」
「はい」
「ならばおまえを示す名は? 聞こう」
 リュクルスは極めて率直に問うた。
 彼が違和感を覚えたのは敬称に対してである。生の終わりを視野にはっきりと収めた今、名など大した意味を持たない。ゆえに少女のそれに対しても、さしたる興味を持たなかった。

「マルガリティア」
 少女も答えた。
 極めて率直に。

 ——背信者リュクルス! 死を恐れラケディアを捨てた! 脆弱な者! 臆病な者よ! 
「声」は常に彼を満たす。


 ◆◆


 幸不幸は常にあざなえる。
 それはリュクルスと少女——マルガリティアにとっても例外ではありえない。アルカンが残した微かなしるべを辿る追跡行が、濃度を増す緑の中に光る白い塊を発見したとき、そこにはやはり新たな問題の芽が顔を出していた。
 リュクルスは長槍を無言で女に預け、丸盾を背から下ろした。そして剣を抜く。すべては音もなく行われた。
 彼はマルガリティアを大木の陰に招く。指で地を指し、しゃがみ込むよう身振りで伝えた。アポリアの名を冠する少女はおとなしく指示に従った。彼女が難なく〝聖句〟を諳んじるのと同様に、男は戦いに特化した存在であるのだから。
 ——海のものは海に、山のものは山に。
 少女は口内に馴染みの一節を呟いた。それはイリスの民がかつて海を体験した事実のささやかな証である。
 人には適所がある。〝聖句〟はそう教える。今彼女にとって適所とは、大きく根を張りだした巨木の陰であった。

 女から見れば巨体と表現して差し支えない、その分厚い体躯に似合わず、リュクルスの動きは意外にも俊敏なものだった。そして静かだった。微かに湿った地面の粘性をものともせず軽やかに進む。
 子羊アルカンは果たして無事だった。四本の足でしっかりと大地を踏みしめている。まだ短い尾が丸い尻を巻き込んで右に左に所在なく揺れていた。

 よって問題はその先にある。あるいは傍らに。
 アルカンの行動はリュクルスの目に慣れ親しんだものだ。子羊は人とみれば見境がない。それが親愛の印、あるいは挨拶の洗練された形態であると勘違いしているかのように、人の四肢に小さな額をねじ込でくる。
 このときアルカンは明らかに挨拶を繰り返していた。

 地に伏せる、もう一人のラケディアの戦士に。

 ◆

 逡巡は一瞬のこと、幼時から染みついた用心の類いを躊躇なく投げ捨ててリュクルスは駆けた。死体が背負った青い丸盾と傍らに転がる剣は間違いなくラケディア市民のものである。

 ——〝間引き〟でしくじったか。
 緑壁周縁部に現れる魔物のほとんどは、凄絶な鍛錬を経たラケディアの戦士にとって脅威とはなりえない。一つの群れに属する個体数も十を越えることはほとんどなく、うち二、三は多くの場合幼体である。
 だが何事にも例外はある。
 知恵の回る個体が群れに混じっていた場合、面倒なことが起こる。魔物は潰走を装いながら戦士達をそれぞれ異なる方向に引き剥がし、森の奥へ奥へと誘い込むのだ。戦闘がもたらす興奮の中で我を忘れた者は、気づかぬうちに異境に足を踏み入れる。そして帰らない。
 未熟ゆえの事故。
 リュクルスもそのような事例を幾度か耳にしたことがあった。彼はその度に、哀れな戦士が歩む死出の旅が安らかならんことをマヌ神に祈った。未熟はあれど卑怯はなかった。敵に背中を見せた末の頓死ではない。ならばラケディア、麗しの都の市民に相応しい誇りの死だ。そう考えた。

 目の前に倒れ伏した戦士もまた、愚かしくはあるが勇敢な市民であったのだろう。
 彼は戦士の頭部に自らの額を擦り付ける子羊アルカンを少々邪険に追い払う。よく見ると、鈍く銀に輝く兜の側部、顎から頬を守る張り出しは幾多の傷と凹凸に溢れている。つまりそれは、兜の主が歴戦の戦士であったことを示していた。

 ——ならば、なぜだ?
 当然の疑問が湧き上がる。
〝間引き〟で命を落とす戦士は若年者が大半である。熟練の市民は命のやりとりがもたらす異常な血気を受け流す術を心得ている。戦において冷静であることはラケディア戦士の理想であるが、その境地に達するにはある程度の実戦経験を必要とする。それを持たぬ者は危ない。
 リュクルスが僚友達の敬意を集めた理由はここにあった。彼は初陣において既に、明らかに、その理想を体現した。ゆえに彼は生まれながらの戦士、猛きマヌ神の愛し子と見なされたのだ。
 石の如きリュクルス。
 それはラケディアにおいて最高の賛辞であった。

 彼は僚友の首裏に右腕を通し、革製の肩当てを左手で掴むと、ゆっくりと手前に引き込んだ。未熟ゆえに斃れたとはいえラケディアの市民である。ならばたとえ死体となったとて、天を睥睨し横たわるべきなのだ。地に顔を埋めたまま朽ちる無様を放置しては僚友の誇りを汚すことになる。
 戦地で同胞に見守られながら死ぬことはラケディア市民の理想であった。図らずも理想に辿り着いた亡き僚友の姿がリュクルスの心中に冷めた思いを生み出す。

 ——この男は幸せだ。同胞たるラケディアの市民に見送られて。それに引き換え、おれは誰にも看取られない。この忌々しい魔物の住処で孤独に死ぬ。取るに足らぬ隷民女の死体の横で。
 常識はそう簡単に抜けはしない。それは心身の最奥まで染みこんだものだ。彼はラケディアの市民であり、アポリアは隷民の女である。一方で、彼はリュクルスであり、彼女はマルガリティアでもある。かみ合わぬこと明らかな二つの意識が彼の中で混濁していた。
 だからだろうか、光輝ある市民の在り方にそぐわぬ愚痴が彼の集中力を削いだがゆえだろうか。腕の中の僚友が発する微かな息づかいを察するのが遅れたのは。
 それに気づいたとき彼は努めて平静を装おうとした。しかし舌は心に従わない。
「おい! 同胞よ! ラケディアの!」
 兜の鼻甲と頬甲が落とす影が戦士の顔を黒く塗りつぶしている。返事はない。ただ微かに漏れる呼気だけがリュクルスの耳に届いた。それで十分だった。
「きみは立派に事を成した。ラケディアに奉仕した!」
 囁きながら兜の縁に手をかける。そして力の限り、それを取り去った。
 閉じた瞼の間を小ぶりな鼻が走る。土埃の汚れに覆われてなお、その肌の白さが分かる。兜が外れた勢いのままに、漆黒の巻き毛が宙を舞った。

 そしてリュクルスは見た。
 まだ年若かろう同僚の右の頬、眼窩の下から耳元にかけて走る指幅ほどの赤い筋。二本。痣ではありえない幾何学的な。それはラケディアの戦士が「人」と「魔物」を区別するときに着目する二つの徴のうちの一つ。刺青である。

 ——魔物! 魔物がなぜ、光輝あるラケディアの戦装束を?!
 理解を拒む奇妙な状況に直面してなおリュクルスは動いた。彼の心身に染みこんだものは市民と隷民の別だけではありえない。市民にとって最も重要なこと。果断に、断固として事を為す姿勢である。
 混乱の最中にあってなお、リュクルスの身体は即座に動いた。それは反射に近い。傍らに置いた剣を拾い上げ、迷いなくそれの首筋に狙いを付ける。
 切っ先の行く手は定まっていた。そこに意思は介在しない。身体が覚えている。四肢は自動的に動いた。

「リュクルス! リュクルス!」
 刹那、森の暗がりを引き裂いて少女の声が耳を刺す。男は自己を取り戻す。身体の操縦権を奪い返す。ラケディアから。
 咄嗟に振り返った彼の視界を占めたのは、迫り来る黒い塊と、その中心に鈍く光る短刀の切っ先であった。自身を穿とうと突き出された。

 ◆

 初撃の刺突を刀身中程で受け流す。滑らかに。いなされた塊は僚友に化けた魔物の身体を飛び越えて地に転がっていく。中型の獣——狼、あるいは猪を思わせる動き。それは即座に立ち上がり、中腰でリュクルスと対峙した。
 岩のごとき黒は魔物が身に纏う毛皮の色である。肩から腕にかけて肌を覆う外套は、分厚い木の葉を継いで作られている。頭部の黒く長い巻き毛と合わせて、それは一個の塊を形成していた。目元の赤い二筋だけが闇の中に鮮烈な印象を残す。
 それは典型的な魔物の姿である。彼は幾度もそれを処理してきた。成体も幼体も。数えきれぬほどに。

 状況を把握できれば、もはや焦りはない。
 リュクルスは敵の総身を視界に捉えたまま、捨て置いた丸盾を素早く拾い上げた。半身を覆う左の盾と自在に踊る右の剣。二つを揃えた彼は自身の勝利を確信した。
 ただし、勝利はあくまでもリュクルスだけに限ったものだ。大股で走れば数歩の距離で木陰に身を隠したアポリアと、獣の本能をどこかに置き忘れてきたとおぼしきアルカン——ラケディアの戦士に化けた魔物の腹を飽きもせず額で小突く愚かな羊を保護せねばならない。
 こののち、新たな敵の出現も考慮に入れる必要があるが、二、三体程度であれば何とかなると読んだ。ただ羊か女、どちらかを諦めさえすれば。

 彼の理性は真っ当な結論を導いた。
 増援を仮定すれば、目前の敵にばかり集中するわけにはいかない。その貧弱な得物を見る限り、決着はすぐにつくだろう。しかし、その〝すぐ〟は伏兵が背後の女を攫う、あるいは殺すのに十分な猶予といえる。
 ゆえにリュクルスは後退を選んだ。
 女と子羊を天秤にかけたとき、守りやすいのは明らかに女の方だ。少なくとも女は彼の指示を理解するだろうから。そこに夾雑物は存在しない。予測しうる未来の中から最善を選択するべきである。

「アポリア。周りをよく見ておけ。動きがあれば知らせろ」
「はい。——戦士様」
 大木を挟んで背中合わせに男は囁いた。女もまた静かに返した。

 ◆

 互いの間合いを大きく外して、リュクルスと二匹目の魔物のにらみ合いは長く続いた。
 彼は一言も発することなく、掲げた盾の陰から敵の動きを観察する。心拍は平静を保つ。
 木々の背後に潜む他の魔物から矢を射かけられる可能性もあるが、少なくとも緑壁周縁部において、それほどに好戦的な個体と遭遇したことはない。これまでのところは。彼が処理してきた魔物のほとんどは、短刀すらまともに使えぬ脆弱な個体ばかりだった。
 観察する限り、魔物たちは恐らく戦闘に従事する個体と生産向けの個体に別たれている。指呼の間合いでにらみ合う個体は明らかに前者に属するものと彼は推測した。

 ——それはまるで、ラケディアのようではないか。
 これまで思いもしなかった突飛な考えが不意に湧き上がる。
 彼はこれまで、そんなことを思いもしなかった。
 魔物たちの世界がラケディアのようだ、などとは。決して。

 先に動いたのは敵の方だった。
 胴体の黒い毛皮から伸びた二本の白い足を折り曲げて、地に横たわる僚友の側に膝を付くと、その両脇に手を入れて牽引を試みたのだ。
 敵前においてなされたこの無防備な行動が意味するところを、彼は推し量ることができない。自身が伏兵を警戒するのと同様、相手もまた知っているはずだ。ラケディアの戦士が複数で動くことを。にもかかわらず、目前の魔物はリュクルスに注意を向けるのみ。通常の間引きであれば、このように愚かな個体など、背後に回り込んだ仲間が難なく処理するだろう。
 さらに意外なことに、対する敵はついにリュクルスへの最低限の意識すら手放してしまった。その視線は明らかに僚友にのみ注がれている。
 地に横たわる大柄な肢体に比して、それを引きずり去ろうとする魔物は明らかに一回り小柄だった。脱力した身体は存外に重い。自己の体格を越えるそれを動かすのはなかなか骨の折れる作業だ。案の定、魔物の試みは遅遅として進まない。
 そして依然、我らが司令官アルカンは僚友にして魔物の側を離れない。

 彼は決断した。

「アポリア」
「……はい」
「これで身を隠せ」
 手にした円盾を背後に放る。可能性は低いが伏兵への備えである。
 魔物どもをこのまま見逃すことはできない。一匹でも多くそれを仕留めることはラケディアに対する奉仕である。何よりも、ラケディア市民の身ぐるみを剥ぎ、その誇りたる戦装束を掠め取った邪悪な存在を生かしておくわけにはいかない。

 彼は地を蹴り再び踊り出た。戦場いくさばへ。


 ◆◆


「ラキディ。……ラキディ!」
 それは魔物の不快な叫びとは明らかに異なる輪郭を持つ。先ほどまで辛うじて敵意を保持した小柄なそれは、今や自身の運命を悟り抵抗を止めていた。それは短刀すら放り出し、〝僚友〟の胸元に小さな身体を覆い被せている。
 雌の成体が幼体を守ろうとするとき、決まってこのような態度を示す。リュクルスにとって見慣れた光景である。ゆえに何の感慨も覚えない。ラケディアの戦士として成すべき事は定まっているからだ。
 常と異なる点はただ一つ。些細な、しかし決定的なものであった。
「〝ラキディ〟? ラケディア、と?」
 足下で彼に背を見せる無防備な魔物に彼は問いを発する。
 それが示した動きが他の仕草であれば、彼の刃が止まることは一切なかったであろう。突飛な行動により敵の意識を散らすのは窮地における常道の一つである。しかしそれが人の「言葉」となれば話も変わる。

 ラケディアの戦士が魔物を判別するしるしは二点。身体に入った幾何学模様の刺青と「言葉」である。
 服装など当てにならない。ラケディア市民とて冬の防寒具として毛皮を纏うことはある。その多くは身体の弱った老人か、あるいは子を孕んだ女であるが、いずれにしてもあり得ることだ。
 容姿もまた決め手とはならない。白い肌、浅黒い肌、黒目、青目、茶髪、金髪、黒髪。いずれも同胞と変わりない。
 だが、ラケディア、麗しの都の市民が身体に刺青を纏うことは決してない。はるか昔、戦場で臆した者の顔に刺青を入れる刑罰があったとも伝わるが、光輝ある都市の誇りを損なう醜悪な風習として、〝不磨の法〟がそれを厳禁した。
 加えて「言葉」である。
 魔物は言語を解さず、また操らない。獣同様の鳴き声を発するのみ。がさついた汚らしい音の連なり。人が話す流麗な旋律のごとき「言葉」とは似ても似つかぬ雑音である。
 ゆえに刺青と鳴き声は魔物の印であった。

 ——ラキディ?
 それは「言葉」だ。「言葉」に極めて近い。彼が慣れ親しんだ、人の。
 再び混沌が脳内を満たす。魔物が人の言葉を発するなどありえないことだ。しかし、今にも振り下ろされる刃を待つばかりの小柄な魔物は確かにそう言った。
 あるいは何らかの偶然によって、末期の鳴き声が「意味ある言葉」に似たのかもしれない。魔物が喋るなどという不可思議を受け入れるよりも、その推測の方がよほど真っ当なものに思われる。
 しかし、彼の耳にもたらされた次の「音」は、思い違いの疑念を払拭するに相応しい、決定的なものだった。

 枯れきった低い男声。大柄な魔物——瀕死と見える〝それ〟がそれを発した。
「……うるわしの……」

 ラケディア、麗しの
 永久とこしえに、さかえあれ

 エウロイ川が西へと流れを変える曲点に、見事な白亜の都市を築き上げたアルトクレス。自身の愛し子たるこの建国王に対し、マヌ神が祝福と共に与えた言葉。〝不磨の法〟の冒頭に掲げられたそれはラケディア市民の誇りであり、市民以外の者が唱えることは決して許されない。
「きみは……市民か?」
 依然剣を握りしめたまま、リュクルスは尋ねる。既にこの時、彼の戦意は既に収まりつつあった。理屈に合わぬことばかりの状況だが、それら全てを無視するに値する行いを足下の男は為したのだ。
 鈍重な瞼を押し上げて、男の黒い瞳が姿を現す。そして口が、微かに開かれた。ひび割れた唇は赤黒い。
「……市民の子」
「我が名はテセウスの子リュクルス。きみが市民の子であるならば、おれも市民の子だ。僚友よ。
なぜ魔物などと共に?」
 男の年の頃はリュクルスと大差はない。つまり青年である。
「魔物……ではない」
「ではなんだ?」
 魔物はその手に落ちた獲物を巣に持ち帰り、食うという。幸運なことに実際に見たことはないが、リュクルスは確かにそう聞かされてきた。今、僚友の胸にしがみ付いたこの小さな魔物は、仕留めた獲物を逃すまいと意図しているのか。しかしその推測も道理に合わぬことと思われた。

 ——餌を守るに自分の命を以てする? 命をつなぐ物のために命を捨てる? 全く以て無意味だ。

 彼の疑問はすぐに解決された。
「……ゲルダ。私の妹」

 ◆

 初夏の夕暮れは長い。しかし、いずれは闇に包まれる。獣の時間がやってくる。緑壁の初日が終わろうとしている。
 リュクルスは当初、小川の探索を計画していた。土地勘無く分け入った森の中で安全を確保するなど不可能である。ならばせめて、飲み水を確保しやすいところに位置するのが望ましかった。水場には様々な動物が現れる。中には獰猛な肉食のものも混じっているだろう。しかし気にしたところで無意味だ。どこにいても安全などないのだから。
 彼の杜撰な、あるいは投げやりな目論見は、得体の知れぬ兄妹との遭遇によって呆気なく崩れ去った。
 よって、この「異界」への不用意な侵入者たちを導いたのは、小柄な魔物に扮した少女に他ならない。
「ゲルダは……おまえたちを招く。ゲルギウスをおまえが運ぶならば」
 抑揚のない、ささくれだった発音と節の途切れは、少女が「言葉」をしゃべり慣れていないことを示唆している。
〝おまえたち〟の語は、ゲルダがマルガリティアの存在を知覚していたことを表している。リュクルスとマルガリティアを比べたとき、与しやすいのは明らかに女の方。にもかかわらず、ゲルダは迷うことなくリュクルスを襲った。つまり兄を守るための無我夢中の行動である。そう彼に信じさせる根拠の一つとなった。
 少女の面持ちは兄のそれと確かに似通っていた。
 肩まで無秩序に伸びた黒い巻き毛と漆黒の瞳は両者の血縁を分かりやすく示す。男女を分けるのは輪郭である。余分な肉を纏わずとも、やはり少女の頬は兄に比して丸みを帯びていた。女の。
「ゲルギウスとは、この男のことか?」
「そう」
「念のため尋ねたい。この男の言は真実か? おまえたちの父はラケディアの市民であると」
「正しい。父はラキディの男」
「ならばきみの兄はおれが運ぼう。ラケディアの市民は決して僚友を捨て置かない」

 話がまとまったところで、彼は木陰に身を隠す同行の女を呼びよせんと声を投げた。しかし期待の返答はない。
 即座に走り寄り木陰を伺うと、果たしてそこには女がいた。円盾の中にすっぽりと身体を収め、木の根の狭間に背を預け、かすかな寝息を立てている。
「起きろ、マルガリティア。行くぞ」
 盾を揺すり、起こす。
 一瞬の間を置いて女の両目が薄ら開いた。しかし明らかに意識はふやけたまま、視線は焦点を持たない。
「寝ていたのか」
「……え?」
「この状況でよくも眠れる。素晴らしいことだ」
 彼は敢えて口にした。紛れもない本音である。
 状況が自己の力を明らかに越えたとき、最善の行動は身体を休めることだ。
 実際のところ、リュクルスの戦いに彼女の存在は価値を持たない。敵がラケディアの戦士を圧倒するほどの手練れであった場合、戦の経験を持たぬ貧弱な女が無闇に槍を振り回したところで結末は目に見えている。
 リュクルスが勝利した場合、その時点で彼女の安全は保証される。
 第三の場合。彼女が伏兵に襲われたならば、抵抗は難しい。いかに卓越した戦士といえども、正面の敵とやり合いながら背後に離れた女を助ける術は持たない。結果リュクルスが助けに向かう前に彼女は死ぬ。あるいは攫われる。
 ならばじっと佇むより他はない。それが結論である。マルガリティアが意図的に睡眠を選んだとは思われないが、期せずして彼女は正しい行動をとった。

 ——素晴らしい女だ。死を前にして度胸がある。
 熟練の戦士であってもいくさの前夜に安眠できる者は少ない。

 そんなリュクルスの密かな敬意など知るよしもなく、少女は目元を両手でこすり口ごもる。
「いいえ、眠ってなどいません! これは……」
「ああ。咎めてはいない。立てるのなら、立て。話がまとまった」
 彼はそう言い放ったきり、二の句も聞かず兄妹の元へ再び歩み出した。子羊アルカンを捕まえておかなければならないからだ。再び見失うことがないように。
「リュクルス? 信じていませんね? わたしは眠ってなど! リュクルス!」
 マルガリティアはあわてて男の後を追った。抗議の声をその背に投げかけながら。

 ◆

 ゲルギウスの巨体を、しかしリュクルスは難なく背負った。
 槍と円盾はマルガリティアが持つ。体格には不似合いな武装だが、当の少女はこれまで常にそうであったように、堂々と男の傍らを歩く。
 二人の数歩前を進むゲルダも同様に兄の兜をかぶり、盾を背負い、剣を提げていた。脱力した荷物の重量をできる限り軽減しようと、剥がせるもの全て剥いだ結果である。
 栄えある〝隊列〟の先頭を行くのはアルカン。後ろ足と一体化した尻が軽やかに揺れる。意気揚々と、憂いを微塵も感じさせぬ見事な歩みだった。

 ゲルダは近くの水場沿いに拵えた仮の住処に彼らを招くという。
 ゲルギウスの昏倒とゲルダの行動の原因は何か。さらに、より根本的な問い——なぜラケディア市民の子が魔物に扮するのか。尋ねたいことは山のようにあったが、リュクルスはあえて無言で従った。

 数週間ほど前、リュクルスを取り巻く世界は明瞭であった。忌々しい「声」の闖入を経てなお透明であった。
 生の目的は明白であり、逆算したところに取るべき行動が疑いようもなく示されていた。同等の僚友がいた。〝初のつがい〟を為すはずの女もいた。
 パレイオス。エイレーネ。
 その名は十年以上にわたり、彼と共にあった。にもかかわらず、緑壁の薄闇を歩く最中、名もまた薄らいでいく。
 耳元に囁く「声」だけが不変の友であり続ける。敬服すべき勤勉さで絶えず彼の不安を暴きだす。

 リュクルスはこれまで数えきれぬほどの「間引き」をこなしてきた。ラケディアへの奉仕として。仕事の際、対象の中に「人」が混じっているなどとは一毫ほども考えなかった。当然のことだ。相手が魔物か人かなど、一目で分かるのだから。

 意識下に押し込めた疑念を声は探し当てる。

 ——この兄妹の有様がよくあることならば、あるいはおれは、それと気づかず同胞を殺めたかもしれない。……おれは確かめなかった。
 それこそがつまり、ゲルダを問いただせぬ理由であった。

「リュクルス?」
「なんだ」
「重たいですか? その方は」
 マルガリティアの単純な問いに彼は答えない。だが、少女は男の卑怯な黙殺を許さなかった。決して。
「ねぇ、重たいですか?」
 少女は彼の顔を仰ぎ見る。労るように。そして嘲笑うように。真相は分からぬながら、彼には確かにそう思われた。
 マルガリティアの青い瞳は、縦に伸び細まった猫の瞳孔とすら感じられる。獲物をじわじわ甚振る猫の。
「重くはない」
 努めて平静を装い、短く言葉を返す。
「さすがですね。——それでこそラケディアの戦士様」
 少女の台詞は容赦なく男の臓腑を抉る。狙い澄ました短刀の一撃。巨大な荷物を背負った彼に逃げ場はない。
「何を言いたい?」
「何も。ただ、わたしはあなたの身を案じているんです」
「その必要はない」
 リュクルスにとって不幸なことに、少女——マルガリティアは虚勢の匂いに敏感だった。
「いいえ。絶対に必要です。あなたを気にかける存在が」
「慈悲深いことだ。それも〝名もなき御方〟の教えというわけか」
「はい。神は常にわたしたちを気にかけてくださいます」
 怒りにまかせて一喝するのは造作ないが、その道を選んだとき青年の敗北は決する。恫喝とは理屈において劣勢ゆえの行為である。よって彼は受け流すよりほかになかった。
「おまえの神はとてもお優しい方だな。だが、おまえたちを救ってはくださらないようだ」

 祭司の娘アポリアは小さく声を上げ、笑った。
「救いなど必要ありません。——そう在るように定められているのですから。気にかけていただく
だけで十分です」