タテガキ

2第二話 NARDIS

2026/07/16 17:23 公開

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 ひとつ助かったことがある。〝社長〟は、僕が創作した〝ぼく〟と同じように他者との関係において表面的で、他人の目を気にする割には、その背後にある人格や思考までは見ていなかった節がある。だから多少、過剰な配慮のせいで意思の疎通がスムーズで無くなっていても問題は無い。あの物語で異常なまでに疎遠に描写した母も既に亡くなっている。会社でも決まりきった言葉しか発していない。会議で何か自分から意思決定するようなこともない。

 つまり、定型句を発して、適度に時間にルーズに、習慣を守っていれば怪しまれない。僕には園芸会社の経営の経験も、「日本」で暮らす経験も無いけど。

「これなら、うまくやれそうだ」

 実際に言葉に出してしまうと、来る、ものがあるね。
 美味しくなんて無いんだけど、ついつい、蓄えが僅かになった「もふもふ」のワインに手を出してしまう。アルコールなのは事実だからね。でも、何だ?この動物。毛が長いのを見る限り、きっと繊維をとるためなんだろうけど、羊にしては首が長いし。
 意外に思うかもしれないけど、僕は「現代人」だよ。スマホも知ってる。だから調べた。向こうの世界にいなくて良かったと思ったね。僕ならきっと、うっかり通りかかった農園で唾を吐きかけられるのがオチだ。

 ワインはサンテネリの方が良い。これくらいは文句を言っても許してもらえるだろう。

 まあ、怪しまれたところで、悪ければ「入院」させられるかもしれないけど、ルロワン、ということは無いだろう。その点は、この時代というべきか〝ここ〟は良いね。良くも悪くも許容力がある。


 シュトロワで代表を務めていた「会社」は、実際には旧王家そのものだったし、昔なら家宰と呼ばれたような(アントワン三世でいうところのブリューベル嬢の父上だね)おじさんが父の代から取り仕切ってくれていた。ここ日本なら一般財団法人、にでもなるのかな。ビジネスの内容も何かを生み出すというより、受け継いだものをいかに減らさずに、次の世代に渡すかが大事な会社。
もうわかるね?
 僕には何か実務的な仕事や事業をやる、という経験が無い。
 それでちょっとは期待した。言うなれば、初めて経営者になるわけだしね。もちろん不安だよ?園芸会社だなんて、庭師を雇えない人が使うものだからね。どうやって経営されているかなんて知るはずがないだろう?「うちの庭」は国家予算で管理されていたからね。元首の住まいになって、すでに数百年は経っているし。
 僕の家?旧市のアパルトマンだったよ。古いだけが取り柄の、暖房の効きも悪くなったようなやつね。

 と、いうわけで正直なところ会社に行っても何もできることが、いや、することがない。あるにはあるんだけど〝ぼく〟が置物にジョブチェンジしてから、けっこうな年数がたっているみたいなんだ。だから僕は、そのレールをなぞっていれば良くて、思考力は脱線しないようにするためだけに使えばいい。

 暇を持て余した僕が何をしたか。

 文章を書くことは習慣だから、書いた。
 はじめは、この未知の言語を使うのに熱中した。体が覚えている、というと、まるで心身が分かたれているみたいだね。今の僕の感覚は、違う。文章を書く手も頭も、二倍になった、とまでは言わないけど両方とも存在している。そして、手を動かすことは、考えることであり、思考は、色も、肌の質感も、産毛も、まったく似つかない手の動きと一体化している。
 世界で最も美しい言語で思考する僕と、この奇妙な言葉で考えるぼく。


「もふもふ」の毛を踏みしめるような足で書斎に向かって、デスクのパソコンを起動する。すでに内容をすみずみまで知り尽くしているテキストファイル、その保存先のフォルダ構成まで「同じ」だ。違うのはこれが日本語で書かれているということだけ。
 ああ、OSは違うね。向こうには新大陸の起業家(タートルネックとデニムの)は居なかったから。

 僕がすべきことは、書くこと。今はそれだけだ。