タテガキ

1レミングスの行進

2026/07/20 13:40 公開

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 この部屋にバルコニーがないことを今日ほど苛立った日はない。
 ぼくの自由意志が阻害されている気がしてしまうからね。
 昔、小学校に通っていた頃、よく先生に言われていた言葉を思い出す。
『みんなそれほど君に悪意を向けていない』ってね、つまり遠回しに自意識過剰だと言われ続けてきたんだ。
 当時はそんなわけがないって思っていたけれど、今になってその言葉は妥当だと思う。
誰が王の居室に"少し遠くの"市街を眺めるのにちょうどいいバルコニーがないことに悪意を見出すのかって。
 光の宮殿は城でも砦でも、ましてや夜景を眺望できるなんて謳い文句のタワマンでもない。
 せいぜいが三階建ての採光のいい一軒家だ。最高だね。地面に近すぎるのが難点だ。
 そこにぼくは悪意と敵意を抱いているんだ。たぶんね、おかしくなっているんだと思う。
 いや、それじゃあまるでぼくがおかしくなかった時があるかのようだ。
 訂正しよう。どこかでこのサンテネリの歴史はおかしくなってしまった。

 このサンテネリで目覚めてから、ぼくは自分で言うのも恥ずかしいけれど、頑張ってきた。
 振る舞いの一つ一つが寓意になってしまうこの身体を厭うて、そこから逃げたいと願って。
 もう少しぼくに余裕があったら綺麗な言葉で繕えたんだろうね、例えば皆さんが自分のことを自分で決められるように。とか。
 最初はうまくいけるんじゃないかって思っていたんだ。
 ぼくの周りの皆さんは優秀で、王であるだけのこのぼくを支えようとしてくれた。
 だから、舞い上がっていたんだ。この身体がどれだけの涙の上で作られたかも知らないで。
 そう、どこかを一つに定めるなら、庭園での暗殺未遂"事件"。
 全てがあそこでおかしくなってしまった。
 いや、それも違うかな。これまでの歴史が抑えつけてきたものが、あそこで爆ぜてしまっただけだから。
 ただ、やはりあそこが全ての起点だったと思う。

 王の身体は神聖にして不可侵。この世界の人達はみんなそう信じている。
 人を従える力、目に見えない魔力が詰まった袋として、ぼくは見られている。つまり魔力は王の王たる印というわけだね。
 だから、魔力が漏れ出てしまうとしてぼくの身体は傷一つつけられてはいけなかった。
 ぼくは知っていた。でも魔力なんてものは存在しないとみんなうっすら理解してるからと、軽んじた。
 言い訳をさせてもらうなら、文字で知ることと、体験として識ることの間には深い谷があって、ぼくにはそれを知る機会がなかった。
 ぼくの恥の結果を、ただ記そう。
 ぼくはぼくを支えてくれた三人のおじさんを喪うこととなった。いや、喪わせたんだ。
もしも、この事件が露呈せずに済んだなら皆さんに口止めをして、王として事故であったと言い張っただろう。
 そう、勇壮さに憧れた若い男が手慰みに短剣を弄んで失敗したとでも強弁しただろうね。誰も死んでいないのに、誰かが死ななければならない事態なんてあっていいはずがないのだから。
でも、そうはできなかった。
 見られてしまったから。
 この身体が父より与えられ、ぼくがぼくとしての意志を通すために遠ざけた"側近"に。
 彼らも必死だっただろうね、新進気鋭のベンチャーで一緒にやっていこうって言っていた学生仲間が、突然老舗企業に内定を取ったようなものなのだから。
 突然梯子を外された彼らからしたら、ぼくに渡りをつけようとするのは当たり前だったんだ。
 ぼくはそこに頭がまわらなかった、うまくやれなかった。

 事態はすぐに大きくなった、なにせ王の身体は神聖にして不可侵だから。
 そして同時にこれは……、役員の不祥事でもある。
 誰もが憧れて、限りのある椅子の。
 王の身体を害そうとした人物が庭園に侵入した、それは内務卿の警察の責任で。暗殺を防げなかったのは、近衛の責任。そしてその全てが家宰の責任に収束する。
 ぼくを……、この不甲斐ない、足りない身であるぼくがサンテネリで目覚めてから支えてくれた三人のおじさん達が座っていた椅子には、今は見知らぬ誰かが座っている。
 恨むべきではないと分かっていても、あのナイフを構えた女の人を今も思い出す。
 彼女が狙った人は間違いじゃなかった。でも、刺すべき人はあの人たちではなかった。

 あの日以来、彼女たちはどうしているのだろうか。
 他ならぬブラウネさんとメアリさんだ。
 ブラウネさん、というよりもフロイスブル家はマルセル殿の自裁の後、帝国へ亡命したと聞いた。
 それは……とても正しいと思う。少なくとも王の暗殺未遂で加熱した市民感情の中で、責任を取った元家宰の家などどのような目に遭うかも分からないのだから。
 ただ、ぼくが勝手に捨てられたかのような、そんな思いを抱いているだけだ。
 でも同時に安心もしている。ぼくはマルセル殿――彼女の父を守れなかった。それどころか死に追いやった男だ。サンテネリの女性は、そんな男を許さないだろう。
 あの柔らかな目が、かつてこの体を見ていた以上の軽蔑と憎しみを湛えているさまで見られたら、ぼくは耐えられない。
 そして、メアリさんには本当に申し訳のないことをした。
 あの現場を目撃させてしまった。近衛という職務へこだわり、責任感の強い彼女に。
 報告では、短銃で自殺を図っていたと聞いた。間一髪で阻止できたそうだが、それ以降はぼくも知り得ない。
 おそらく、死んではいないんだと思う。ただそれ以上を探ることはぼくに許されていない。
 "側近"の皆さんは、ぼくが再び"軟弱な"思想に囚われないか一挙手一投足をつぶさに見つめている。バロワの姫を心配することは出来ても、呼び立てて気を使うなどという弱い振る舞いを見せることは出来ない。
 近衛の家職を持つバロワはこの国から逃がしてもらえないだろう。つらい記憶しかないこの国の中で、変わり切ってしまったこのぼくを見ているのだろうか。

 そう、ぼくは変わった。変わらざるを得なかった。
 かつてこの身体が共に未来を語り合った"側近"たちに囲まれて。
 彼らの目には猜疑が宿っている。彼らの目にはぼくがいつまた"悪しき魔力"に染められるかと、不安と警戒を抱いている。
 当然だ。ぼくは彼らを裏切ったのだから。裏切られた人間はまた裏切られることを警戒する。
 そして同時に、ぼくも彼らを警戒する。彼らは実現よりも理想を追う。そのために若さからか過激な方向へ向かいがちだ。
 手綱をつけなければならない。そのためにはぼくが信頼できる御者であると示さなければならなかった。一度裏切ったこのぼくが。
 だから、ぼくはサンテネリで目覚めてから続けてきた穏便な軍縮はすべて振り出しに戻した。いや戻るだけならまだ良かった。もう二度と軍縮に進めないように、示す必要があった。
 王の暗殺未遂、そして軍拡、国内の不穏な熱がどこへ向かおうとしているのかは明らかだった。
 こういう時、政治家の皆さんは妬ましいほどに慧眼を発揮する。
 ガイユール公は滞在を切り上げ、リーユへの帰途についた。おそらくぼくはザヴィエ殿に見限られた。少なくとも、ゾフィさんを託すに足るとは思われなかった。
 仕方のないことだろう。ぼくが目覚めてからずっと成してきた仕事をぼく自身が突き崩す様を見てしまったのだから。
 かつてのように髪を刈り上げ、粗暴さと勇敢さを履き違えたかのような振る舞いに戻った以上、ぼくは交渉相手になり得ないと看做されるだろう。
 制御のできない合併先との関わり方は2つしかない。受け入れるか、会社を割るか。
 でも何より辛いのは、あの時のゾフィさんの言葉だった。
 何か特徴的なことを言われたわけではない、どうかお元気でとか。だからこそつらい。それはぼくが何も言うに値しない男になってしまった証拠のようですらあった。
 もう二度と、あの手の中に小鳥を隠してやってくることはないのだと、実感してしまった。

 そんな破滅に歩む王国で、ぼくは玉座に座り続けている。
 ぼくを疑う者たちの中心で、彼らを心底嫌悪しながら。
 守りたいものはすべてぼくの手から滑り落ちてなお、ぼくがまだここにいる理由は一つしかない。
 このサンテネリという船の舵だけは、ぼくが握っているからだ。どうせ沈むにしても、ここにいなければ沈み方すら選べない。
 ぼくが死ぬ分には何も怖くはない。むしろそれを願ってさえいる。それでもぼくはぼくが傷つけ、手から滑り落としてしまった彼女たちのために沈み方を選ぶぐらいはしなければならない。
 なにせ大船サンテネリは沈むだけで近くのすべてを巻き込んでしまうので。死ぬならば、そうして格好つけて死んだほうがまだ悲しんでもらえそうだ。
 死後の異名はアングランの英雄かな? 光栄だね。


 ……嘘をついた。こんな小さな手記ですら勇ましい嘘を書く矮小なぼくが嫌になる。

 ずっと、窓の外を見ている。
 窓を見ていれば空の高さがわかる。そこから落ちられればと考えている。
 痛いのは嫌だし、どうせ意識が消えることもないのがわかっている。
 でも、この世界で確実に死ねる方法でもある。実績があるので。

 そして、その後は?

 ぼくは一度、全てを投げ出した。自分の元に集った人々の生活を支えることすらぼくには耐え難かったのに。
 そして目が覚めた。二度と覚めるはずがなかったのに!
 そのうえ今度は国という最大の社会単位に生きる人々の命を背負えと言われている。
 その中で、もう一回同じことを繰り返す意味があるのだろうか?ぼくはそこに解決を見ているのに、約束されていた終わりは未だに来ていない。
 次がもっとひどくならない確証は、どこにもない。
 だから、投げ出せない。次がない確証がないから。
 同じことを繰り返せば、より大きな負債として襲いかかってくる可能性。ぼくは、それが怖い。

 さて、この常に隠し持てるように選んだ小さな手記の頁も残り少ない。グロワス13世として生きるぼくが、それでもぼくであることの証明として人目を忍んで何度も読み返すだろう。あの日記は焼いてしまったから。
 グロワス13世として振る舞い続けた先に、ぼくが消えないように。
 この小さな手記さえなくなれば、ぼくは居なくなってしまうから。
 この世界に対するせめてもの抵抗として、これを記す。
 暗君万歳。