第1話 条件は満たしている
2026/07/05 13:46 公開
タワマン三十一階のぼくのマンション、つまり今となっては「彼女達」のたまり場と化しているぼくの家。今日は他のメンバーは時間が合わなかったのか、茉莉だけが遊びに来ていた。平日の夕方だから時間が合わないのは全く不思議じゃないんだけれど、彼女らを見ていると、少々不自然なことでも何故か道理が通ってしまうような錯覚を覚える。
今日の茉莉はソファに座り、前に編集さんから貰った雑誌をぱらぱらとめくっていた。ぼくは献本された由理君の本を読んでいる、めずらしく静かな夕方だった。紙をめくる音の合間を縫うように、茉莉が「あ、そうだ」と呟く。
「兄さん、パソコン借りても良いですか? ちょっと地図印刷したくて」
「うん? いいよ」
「PINは?」
「誕生日」
軽く頷くと、茉莉はソファから立ち上がりリビングの机に向かった。そして勝手知ったるとばかりに、パソコンの前に座り電源を押す。パソコンが立ち上がり、彼女の手がキーボードを叩いた。
ぼくはなんとなく、どこの地図を印刷したいのかな? と興味本位で彼女の後に立った。飲み物を取りに行く用事もあったことだしね。手に持ったグラスに麦茶を注ぎ、ぼくは茉莉の背後に立った。ワインの量は女性陣に厳しく管理されるようになってしまって、残念ながら今日飲んで良い分はもう飲みきってしまったんだ。
ぼくが黙って彼女の、すっと背筋が伸びた後ろ姿をぼんやりと眺めていても、茉莉は何も気にすること無くマウスを動かした。「借りますね」と律儀に言ってブラウザの検索バーをクリックする。
そう、彼女は検索バーをクリックした。
御存知の通り、検索窓をクリックすると、過去の検索履歴が出てくる機能があるよね。
さて、それで出てきた過去の検索履歴は以下の通りだ。
「ドミナントとは」「サブドミナント 心理」「SM 関係性」「SM ドミナント 違い」「首輪 意味」「拘束 プレイ 心理学」「ドムサブユニバース」……。
肌色の、検索履歴。
ぼくは思わず「あっ」と声を出してしまった。
一方、茉莉はパソコンの画面を無言でじっと見ている。そして彼女はおもむろにスマホを取り出すと、その検索履歴をパシャ、と写真に収めた。こわい。なんで撮るんだろう。セクハラで訴える準備かな。
ぼくは持っていたグラスを取り落としそうな気持ちになりながら、必死に茉莉の背中に弁明を繰り出した。
──信じて欲しい。そういう趣味があるとか、こういうことをしたいとか思ってるわけじゃなくて、調べてただけなんだ。調べてたのは小説の資料で。その、この間のアルパケット(同人誌即売会)で隣のスペースにいた人と連絡先を交換したのがきっかけだよ。彼からウェブ上の投稿企画に誘われて……。事前に公開されているお題に沿って短いお話を書いて、設定した投稿期間中に皆が一斉に投稿するっていうお祭りを定期的にやっているらしいんだ。
明るく「まずはお題見てみて、もし書けそうだったら声かけてください」って彼に言われたから……誘ってもらった以上、断るにしてもちゃんと書けそうかどうかは見てから回答しなきゃなと思ったんだ。軽い気持ちで彼に今回のお題を聞いたんだよ。
お題は、「SM」か、「ドムサブもしくはドムサブユニバース」の選択制だった。
途方に暮れたよ。「SM」は、なんとなくわかる。でも「ドムサブ」って何か、茉莉は知ってる? ぼくは全く聞いたことが無くて。
何も知らないぼくは、インターネットの海に回答を求めた。
その結果が……その、この検索履歴で……。
額からよくわからない汗を吹き出させながら、なんとか自分の「無実」を主張する。ぼくは一番最初に言った言葉を繰り返すことしかできなかった。
「だから、俺はこういうことをしたいと思ってるわけじゃなくて……」
茉莉が、全然振り向かないのが怖かった。
もう何を言えばいいのか、それとも黙秘して何も言わない方が良いのか。
言葉を切り、息を詰めて彼女の背中を見る。手に持った麦茶のグラスはとうに氷が溶けて、ぼくの手のひらを濡らしていた。ぼくが口をつぐんだのになんと思ったのか、わからないけど彼女はゆっくりと椅子から立ち上がった。そのままぼくの方に身体を向ける。
真正面から相対する彼女の視線から逃げたくて仕方がない。茉莉はぼくを頭の先からつま先までじっと見てから、ようやく口を開いた。
「……兄さん」
茉莉の声がいつもより低い。
「創作の為、というのはわかりました」
彼女の言葉にほっと息をつく。よかった、わかってもらえたらしい。……安堵したのも束の間、彼女は続けて言った。
「もう一度手錠、持ってきましょうか」
「えっ」
「ネットで調べるだけじゃわからないことってありますよね」
「え、あ、いや……まず書くと決めたわけじゃ」
「でも、前向きに検討していますよね?」
茉莉の視線の鋭さに、思わず「う」と口ごもる。図星だった。……確かに、前向きに検討していたのは事実だ。
その、声をかけてくれた彼はとても良い人だったんだ。しかも、ぼくのお話を読んでくれていた! サークルの設営が終わって、開場直後に彼はちょっとはにかみながらぼくのスペースの前に立った。「俺、アントワン三世めっちゃ好きで」「初めて読んだ時、徹夜で最新話まで追いついちゃって次の日大変でした」「更新楽しみにしてます」って言いながら新刊を買ってくれた。
彼は隣のサークルの人だった以上に、ぼくの同人誌を、お金を出して買ってくれた初めての読者だった。
その彼が「書きませんか?」って誘ってくれたんだ。
たっぷりと間をおいて、観念してぼくは口を開いた。
「まあ、書けそうだったら、とは考えているよ」
ぼくの消極的なイエスに、茉莉が勝ち誇ったように笑った。
「じゃあ今度手錠、持ってきますね」
「……あの、持ってくるだけでいいからね」
「え?」
「え?」
茉莉は首を傾げてみせた。
「当然、『試し』ますよね? 取材って大事でしょう?」
一瞬彼女の瞳がギラッと煌めいた気がした。
──ぼくは、なんとかあの手この手で彼女に思いとどまらせようと言葉を重ねていった。
最終的に「小道具に関して女性の意見がほしいと思ったら茉莉に声かけるから」の約束を交わして、彼女は満足気に頷いて帰っていった。
にっこり笑って足取り軽く、茉莉は出ていった。彼女が去り、目の前で閉じたドアを見つめてぼくは息を吐く。……何だか、どっと疲れた。
今日はどうしよう。時計を見ればまだ夜は長い。
ぼくは、少し悩んだ末に、さっき茉莉が座っていた場所──リビングのパソコンの前に座る。
「書けなさそうなら早く断っておいた方がいいからね」
自分に言い聞かせるように、ぼくはメモ帳アプリを開き、昨日同様未知の世界の単語や心理を検索しに行った。
■ ■ ■
「社長、どのキャラで書くんですか?」
「うん?」
「SMか、ドムサブか、どちらかで書かれるんですよね?」
「…………ちょっと待ってほしい」
三沢さんはニコニコと、常と変わらぬ笑顔のまま夕食を口に運んでいる。今日の晩ごはんは肉じゃがと味噌汁と米に、副菜のおひたし。
彼女の料理はとても美味しいのに、彼女の口から出てきた言葉に胃がキュッとなる心地がした。
なぜその単語が三沢さんの口から出るのか。思い当たる節はある。昨日、茉莉は写真を撮っていったのをまざまざと思い出した。
ぼくは箸を持ったまま、三沢さんの言葉にモニョモニョと口ごもる。
「……書くと決まったわけじゃないよ?」
「そうなんですか?」
「それに、既存の話のキャラで書くとも決まってない」
「でも既存のお話のキャラで書いても良い企画ですよね?」
三沢さんはパチパチと目を瞬かせ、おっとりと首を傾げてみせた。その視線には「当然、既存のキャラで書くよね?」の圧を感じる。負けてしまいそうになりながら、ぼくは必死の抵抗を試みた。
「……でも、ほら。既にある話のキャラで、そういうお話を書くのは、こう……読者のイメージを裏切るんじゃないのかな」
「スピンオフならよろしいのでは? 見たい人だけが見れば良いのです。それもファンサービスだと、私は思います」
「……」
「それにアントワン三世は四人の妃がいるではありませんか。そのうちの一人とはそういうことをしている、なんてお話はスパイスになっていいと思うんです」
「……一応、全年齢の範囲なんだけど……」
「コトに及ぶシーンを書かなければ良いのです。口づけ程度でも十分ドキドキしますわ」
三沢さんは、聞く耳を持たない。
「社長。もし書かれるなら、既存のキャラで書かれますよね? 例えばブルーベル嬢など」
彼女の視線は矢のようにじっとぼくに刺さったまま、抜ける気配がない。ぼくは観念して敗北宣言をした。
「……まあ、もし、書くなら。既存のキャラで書くよ……」
「嬉しいです」
ぼくは黙って箸を動かし始めた。
三沢さんはきっと、ドミナントなんじゃないかなと思ったのは秘密だ。相手をお世話して、管理して、甘やかすのが上手な人。
もし彼女をモデルにしたブルーベルで書くならドミナント側で……と思ってやめた。洒落にならない妄想になってしまう。思考を止めたものの正体は理性と言っても良いだろう。
肉じゃがを口に運ぶ。タマネギが甘くておいしかった。
対面に座る三沢さんをチラッと見る。ニコニコと笑って、彼女はぼくが食べ物を咀嚼し飲み下す姿を見守っている。お金の関係で無ければ何か錯覚してしまいそうな、慈愛に満ち溢れていた表情だった。
■ ■ ■
昼下がりのカフェのテラス席。ぼくの目の前に座り、珈琲を飲むアナリースさんだけを切り取れば何かの撮影と間違われそうな風景だ。
しかしその口から流暢な日本語で「お話は茉莉さんと青佳さんから伺いました」と静かな声が聞こえてきた。幻聴かな?
「少々過激なテーマで書かれるとか」
ダメ押しの一言にぼくは穴があったら入りたいくらいだった。気まずさを誤魔化すように「まあ、まだ書くかも、くらいで……」と言えば彼女は首を傾げてみせる。
「なぜ? 既存のキャラで書く、と伺いました」
「……書くなら、ね」
思わず視線をそらすぼくに対し、アナリースさんは逃がしてくれなかった。
「書かないんですか? どうして?」
「既存のキャラで書くと約束してしまったけれど……でもね、全年齢の範囲といっても、やはり本編に出てくるキャラクターのそんな姿を書くのはどうかなって……」
「なぜ? 別に、既に作中で結ばれている二人であれば、何も問題ないでしょう」
「解釈、ちがいとか……」
「解釈違い?」
「その、本編で描かれてない部分をだよ。スピンオフとは言え、出していいものかと思って」
ためらいを口にする。だって、ぼくは作者だ。ぼくが「ある」と言ってしまうと「ある」ことになってしまうじゃないか。それを読者がどう受け取るかと思うと、少し怖気づいてしまう。
ぼくの迷いを聞いた上で、アナリースさんは目をパチパチと瞬かせた。言ってる意味がわからない、という顔をしている。
「それのどこに、悩むことが? 作者なんだから好きに書けばいいと、私は思います」
「う、ううん……」
アナリースさんは「正論」を口にする。
「作者が、自分の書きたいようにスピンオフを出して何が悪いんです? 既に『ある』キャラクター二人の深堀りで、何か問題がありますか?」
「……そういうものかな?」
「ええ。そういうものです。例えば、アントワン三世とエリザベトとかピッタリですよ」
「そうかな……? 題材が題材なのに……?」
「はい」
力強くアナリースさんは頷いた。
彼女をイメージしたキャラクターの名前を出されて、「じゃあエリザベトで」と言えるほどぼくは恥を捨てることはできない。モデルにさせてもらった本人にそれを言うのは、セクハラもセクハラすぎるだろう。そんな物を書いてネットの海に流した暁には、恐らく日を置かずに訴状が届くに違いない。
曖昧な笑みを浮かべ、ぼくはコーヒーを飲み下した。
……でも、既存のキャラクター二人の関係性の深堀り、と言う観点は確かに良さそうだなと思う。
あとは、どの二人組にするか、なんだけど……。
「ううん……」
腕を組み唸ってしまったぼくを前に、アナリースさんは微笑を湛えてぼくを見るばかりだった。
■ ■ ■
「先輩、お悩みですか?」
掛けられた声に振り向けば、快活な笑みを浮かべて知子さんがぼくの背後に立っていた。
ぼくはリビングにおいたパソコンの前に座り、紙束を前にウンウン唸っていたところだった。茉莉と一緒に来ると言っていたから、茉莉の持つ合鍵を借りるか何かして入ってきたらしい。ぼくの視線に知子さんは「茉莉さんは忘れ物をしたそうで、先に私だけ来ちゃいました」と補足した。……そうだね。めったに忘れ物なんかしない彼女だけど、会社帰りだったら一回取りに帰らないといけなさそうな忘れ物ってありうるよね。今度手錠持ってくるって言っていたもんね……。
キーボードの上に紙束を無造作に置き、改めて椅子を回転させて彼女に向き直る。頭を掻きながら、なるべく軽薄な笑みを浮かべて口を開いた。
「まあ、ちょっとね」
「ドムサブですか?」
直球ドストレートの言葉が飛んできた。ひくりと唇の端が引き攣るのを感じながら、ぼくはなんとか言葉を続ける。
「…………知子さんはどこまで、知っているのかな」
「そうですね……茉莉さんからの写真が送られてきたのと、皆さんからも大体のところは聞いてます」
ニコッともう一度知子さんは笑ってみせた。つまり、全てバレていると思って良いだろう。ぼくはため息をつき、観念して唇を開く。
「……ぼくなりに書いてみたんだよ」
「え! サジェシアとアントワン三世はでてきますか?」
「……一応」
「一応?」
知子さんが「うん?」と首を傾げてみせた。ぼくは自分の書いたものの中身を思い出しながら、そっと視線を床に落とす。口から出てくるのは言い訳めいた言葉だ。
「ドムサブかSMの要素があって、『地に落ちて死なば』の既存のキャラで、既に本編中で言及されている関係性の深堀り、って条件はね、満たしているんだ。満たしているんだよ」
「……」
「ただその……受け入れられるかが、ちょっと。わからなくて」
「……先輩」
静かな知子さんの声が聞こえた。恐る恐る知子さんに視線を戻す。彼女の瞳はキラキラと輝いている。次に彼女が何を言うか、不思議なことにぼくには手に取るように分かった。
「読みたいです!」
「…………引かないでくれるとうれしいよ」
前のめりに言う彼女に、ぼくはさっきまで持っていた紙束……印刷したての初稿をとり、渡した。知子さんはニコニコと受け取った。
「これがアリか、ナシかは正直に教えてほしいな」
ぼくの言葉に頷きながら、知子さんは受け取った初稿に目を落とす。
そして、最初の一ページ目を読んだところで、首を傾げた。
首を傾げながらも、二ページ目、三ページ目とめくって読み進んでいく。無言だ。そのまま彼女は黙々と読み進め、最後のページまで読み終わった。
知子さんは最初のページに戻り、再度、首を傾げる。「ううん」と小さく零し、彼女はぼくを見た。
「あの、本編を補足するお話としては面白かったです。お話としては」
「ありがとう」
「……でも、これ……許されます?」
「そうなんだよね……」
二人して「うーん……」と呻く声がハモってしまった。彼女が懸念することも、ぼくが気がかりに思っていることも、きっと同じだろう。
知子さんが言いづらそうに口を開く。
「『地に落ちて死なば』の女性読者としては、あり、だと思います」
「うん……」
「……でもその……『モデルの方』が見た時に色々と問題がありそうな……」
「そうなんだよねえ……」
ぼくは「モデルの方」の顔を思い浮かべながら、ため息をついた。
知子さんが「それはそれとして、サジェシアとアントワン三世が仲良しなスピンオフは書かれないんですか?」と話題を変えようとしたところで、インターホンが鳴った。モニターを見ると茉莉の姿が映っている。解錠すると茉莉の姿はサラリとカメラの画角から消えた。エレベーターホールに向かったのだろう。
ふと気になり、知子さんに聞いてみる。
「今読んでもらったもの、手錠の使い方を変えることでもう少しなんとかならないかな?」
「ならないと思います」
一刀両断だった。なんとなく予想していた答えに「やっぱり?」と軽く返す。ため息をついて初稿をぱらりとめくる。自分でも、手錠の使い方一つで変わる気はしなかった。
知子さんはじっとぼくを見て、慰めるように「でも、本編のキャラを深堀りするお話としてはとても面白かったですよ。……私の好みとは言えないですけど」と言った。
優しさが沁み入る。ぼくは「はは……」と乾いた笑いを浮かべて、知子さんに「ありがとう」というのが精一杯だった。
■ ■ ■
さて。初稿を一晩置いてもう一度読み、手直しをしてみたものの、やっぱりどうにもこれは世に出すことが難しく思われた。
……言い訳をさせてほしい。ぼくは、真面目にドムサブやSMのことを調べて、世界観に合わせて「ありそう」な内容、そしてキャラクターが取りそうな行動を可能な限り検討した末に書いた。わからないなりに、頑張って書いた自覚がある。本編の世界での社会風俗といった、本編で語るとちょっと野暮ったいかなと語らなかった些末な部分を埋めつつ、全年齢の範囲で、本編とこのキャラが好きな人が見た時には概ね楽しくお読みいただけるんじゃないかな……と思うようなものができてしまった。ドムサブだけど。
それでもやっぱりぼくが、実在の人物をモデルにしていると言うその一点で持って、公開は無理かもしれない。今後のぼくと相手との人間関係を思えば、やめておいたほうがいい。ドムサブだよ? その……ドムサブの、相手の心の主導権を握る行為に快楽を覚えている描写とか。支配欲が「満たされてしまう」葛藤とか。全年齢とは言え、なんていったって、本人にもこのキャラはあなたをモデルにしましたとバレている状態なんだ。何も言わずに公開した途端、絶縁される可能性が十二分にある。
しかしここでもう一つ問題がある。モデルにさせてもらった人物は、いつも更新する度に欠かさず読んでは感想をくれる熱心な読者でもあるからだ。だから、本編の補足的な内容として、読みたいと言われる可能性も大いに有り得る。
……ぼくは、酷く悩んだ末に、「彼」にメッセージを送った。
「由理君に、話があって」
すぐに既読が付く。直後、彼から通話がかかってきた。
『どうしたんですか、先輩』
「ああ、いや、その……夜分にごめん。今大丈夫かな」
『はい。……何か、いつもと様子違いますけど、大丈夫ですか?』
「……そうかな? 気のせいだと思うけど……あ、それで、本題というのはね」
一度、言葉を切る。生唾を飲み込み、ぼくは覚悟を決めて続きを言った。
「ユニウスのスピンオフを書いたんだけど」
『読みます』
即決だった。まだ読ませるとも何も言ってないのに。中身がどんなものかも言ってないのに。
「いや、内容がちょっとその、際どい内容かもしれなくて」
『読みます。際どいならデータより実物がいいですか。今から家、行きますよ』
「全年齢! 全年齢だから!」
本当に家に来そうな勢いの彼に、「企画のお題がドムサブで」「何見ても後悔しない?」「読んだあとせめて、絶縁宣言だけしてもらってもいい?」と年上にあるまじき言葉を幾つも並べ立て、通話を切った後ぼくは震える手で彼にPDFデータを送った。
データを送ったあと、彼は静かになった。読んでいるのだろう。
待っている間、ぼくは心のなかでつい彼に懺悔しながら自分の書いたものを思い返す。
ごめん、由理君。
小道具に関して女性の意見が不要で、「地に落ちて死なば」の登場キャラで、既に本編中で言及されている関係性で、全年齢。この条件を満たして、お題「SM」または「ドムサブ」を満たすには、ユニウス君とアントワン三世でなんとかしなくちゃいけなかったんだ。
どういう話か。
結論から言うと、ユニウス✕アントワン三世の発禁ドムサブ本が見つかる話になった。
まず、本編中にユニウスがアントワン三世と話すシーンがある。二人の間には対立があり、バチバチと激論を交わすシーンがあるんだ。これで既存キャラの関係性としてはクリア。
そしてこの世界では印刷技術がちゃんとある。新聞があり、そこには風刺画も載るわけだ。そして印刷技術があるということは、書籍もある。
さて、スピンオフでは、この印刷技術で生まれてしまった、ユニウス✕アントワン三世のドムサブ本と言う、まさに思想が強すぎる本が見つかる。醜悪なプロパガンダとしての思想が、強すぎる。それだけでもう発禁本だ。作者不明、挿絵の画家も不明。アントワン三世をとても卑屈で臆病な全く王の器じゃない男として描いていて、ユニウスという天に何物も与えられた男とは全く比べ物にならない。その、ユニウスとアントワン三世が、口にするのも憚られるようなことを繰り返している本。
これがね、ユニウス陣営が作成したものだと厳しく追求を受けるんだ。でもユニウスも陣営も全く知らない。ユニウスはその本の存在を教えられ、パラパラと読んだものの、吐き捨てるように「犯人を探せ」と言った。ユニウスはアントワン三世のことをライバルのように思って買いかぶってくれているから、卑屈で臆病な男、って書かれていることに腹立たしく思う。そしてユニウス自身は素晴らしく書かれていながら、王を支配しようとする男、という描写を繰り返し繰り返しされているのにも酷く憤慨してるんだよね。
同様に、アントワン三世の方も偶然その本の存在を知る。周りの人が「許せん」って憤っているものがなにかと思って聞いたらそれが出てくる。ユニウスがその本を見ている頃とそう変わらない時期に、同じ本をペラっとめくってみるんだ。「発禁やむ無しだ」と苦笑して「犯人が早く見つかるのを祈っているよ」と言った。自分が卑屈で臆病な王の器じゃない男と書かれていることには、とても納得がいく。逆に、ユニウスの描写に対して、対話を求める彼の姿が、王を支配したがる男と繋げられることに「風評被害にもほどがある……」とつい一人の時にぼやく。
犯人を探すにあたって、やはり本の内容が一番の手がかりになる。ドムサブの描写……例えば、手錠。幽閉された屋敷の中、アントワン三世が手錠をはめられている。前に茉莉が持ってきてくれたのとは違って、金属でできたゴツくて重そうな手錠だ。服装は一応、貴族の寝間着姿。白いシャツみたいなものに白いズボンを着ている。ただし寝間着以外の衣服は与えられていない。外に出たり、他人に会うことを許されていないからだ。
さて本の中ではユニウスは飼い主が犬をしつけるように、この部屋に毎晩やってきてはアントワン三世に服従を求める。アントワン三世は臆病者で、最初は抵抗するものの与えられる罰にも耐えられずに気持ちが負けて、ユニウスの命令に従ってしまうんだ。するとユニウスは、アントワン三世を褒める。それを繰り返していくうちにアントワン三世は、「支配されること」に何よりの喜びを得るようになってしまう……。と、不敬も不敬な内容であると同時に、男同士の同性愛として自然に反する罪を賛美する内容になっている。レッドカードが二枚出ているような内容だね。ユニウス陣営としても許せなかった理由はこれ。
次に、この本はとにかく文章が上手い(ことにする)。アントワン三世という最も魔力のある男性を丁寧に丁寧に「ただの人間」に落とし、ユニウスとアントワン三世がお互いに溺れていく様をたっぷりと叙情的に書いている。でもたまに、よく読むと少し違和感のある言葉が繰り返し出てくるんだ。リュテス語で言わないような言い回しといえばいいのかな? 例えば日本語なら恥ずかしくて「顔から火が出る」って言うけれど、リュテス語では「顔を真赤にした」と表現して終わり。基本的な文章は何も非の打ち所がないから余計に、ちょっと変な所が目立っている。あと、アントワン三世の手錠と屋敷の内装、寝間着の描写がどうにも、挿絵をみるにリュテスのよくあるものとは微妙に違う。
そうした違和感をもとに、ユニウスはユニウスで、アントワン三世はアントワン三世で情報をかき集めながら、それぞれの陣営がとてもがんばってこの悪質なプロパガンダの源を特定し潰した、と言うスピンオフだ。犯人は他国のスパイで、国内の印刷所で作られた形跡はナシ。色々調べたら周辺国の嫌がらせということがわかって一件落着……みたいな、話になった。
……スピンオフにはアントワン三世の四人の奥さん達も一応、名前だけ出てくるよ。本当に、名前だけだけど。
ぼくはこの話が書き上がった時、テキストを頭から最後まで読み、「……とても、それらしく、かけてしまっているけれど……」とひとしきり頭を抱えた。真面目に「ドムサブ」について検索した結果もいかんなく発揮されてしまった。
全年齢だよ。うん。作中作の話で、作中作の中でもお見せ出来そうな部分ということで少しその……ドムサブ、の内容は欠片だけ書いている。手錠とか、軽く相手の体を触るだとか、何か相手の行動を制限するとか。作中作のユニウスとアントワン三世の描写は、とにかく「悪質なプロパガンダ」と映るようにそれらしく書いた。そうした方が、犯人を血祭りに上げようとするユニウス陣営とアントワン三世陣営のそれらしい動機づけになるかなと思って。
ぼくは、やりすぎた。
「頑張って書いた」んだ。そうしたら結構な文字数になったんだよ。本当に……お題に沿ってかきました、と企画で公開するには、字数もだし内容も人を選ぶ。全年齢だけど、これは人を選ぶ。それくらいはぼくにでも分かった。
……思い返している間も、由理君からのどんな反応が返ってくるか怖くて仕方なかった。
結構な量だからしばらくかかるだろう、と思っていたのに想定より早くポコン、とスマホが間抜けな通知音を立てた。恐る恐るアプリを開いて見た。
『本編の補足的スピンオフとして満足行くものだと思います』
『ドムサブの描写の要否は、企画がまずそれですよね? ならいるでしょう』
『ユニウスはよく書けている』
絶縁宣言じゃなかったことに安堵した。作家目線で見てくれたことに、どこまでも感謝の気持ちがある。 ぼくは少し踏み込んで、彼の判断を仰ぐことにした。
「読者として、なろう作家の先輩として、ユニウス推しの人として聞くんだけど、」
「公開しない方がいいかな?」
返事はすぐに返ってきた。
『先輩が決めてください』
正論だ、どこまでも。書いた人間以外に公開するかどうかを決められる人間はいない。
ぼくは由理君が「アントワン三世とユニウスが違う立場で真犯人をそれぞれ追っていることの『良さ』」から始まる感想……もとい考察を長文で送ってきたのをみて、通話ボタンを押した。普段の彼の、長文で再現なく考察を連投してくる気配がひしひしとしたからだ。すぐに通話が繋がり、そのまましばらく由理君が「ユニウスと王の関係は単なる『対立』で終わらせていいものではなく、」と熱く語るのを聞かせてもらった。彼は本当に記憶力が凄まじい。「本編の一章の四十二話、アントワン三世のセリフにあるように、」とか具体的に引用しながらユニウスと王について語るんだ。
ひとしきり話して最後、ぼくは由理君に「公開したら教えるよ」と言って通話を切った。
さて、公開するか否か。由理君以外にももう一人、判断を仰いでみようかなと思ってぼくは彼に恐る恐るメッセージを送ってみた。
お題を書かないか誘ってくれた彼だ。
結果、彼はPDFデータの内容を読んだ後、巻物みたいに長い感想文と一緒に「載せないのは世界の損失」と送ってきた。
……というわけで、ぼくのスピンオフはなろうに掲載された。否、ぼくは、スピンオフをなろうに「掲載した」のだ。自分の意思で。
それなりに資料を漁って自分なりに頑張った作品だ。内容は人を選ぶだろうけれどぼくは、由理君と隣のサークルの彼から好意的な感想をもらって嬉しかったから……なら、載せてもいいのかな、って。知子さんの意見もね、至極真っ当だと思う。人を選ぶ作品の自覚はとてもあるよ。本当に。でも、「人を選ぶ」と言いながら知子さんに読んで貰ったのも、モデルにした由理君に報告したのも、そして隣のサークルの彼の反応を見たかったのも、突き詰めればやはり「見てほしかった」からだ。
ぼくが書くお話は、大なり小なり万人受けはしないだろう。それでも、今のぼくが書いたものを、好きと言ってくれる人が一人でもいるならば……せっかくなら、公開した方が楽しいのかも、って思ったんだ。
まあ、今回はそれがユニウス✕アントワン三世の発禁ドムサブ本が見つかる話なんだけど! ごめん、やっぱりちょっと不安になってきたな。賛否両論というより凄まじい「否」が吹き荒れたらぼくは非公開にしてしまうかもしれない。そうなったら幻の作品にしてしまおう。
そんなことを考えながら、ぼくは「ノベルライターになろう」の投稿ボタンを押した。
──その数日後、ぼくは四人の美女たちに四方を固められ、ド詰めされることになるとは思ってもいなかった。
いや、少しだけ予想はしていた。予想はしていたよ。でも、四人同時に固められて「それで、次のスピンオフは?」「当然、アントワン三世と妃とのお話もありますよね?」と口々に笑顔で責められるとは思わないじゃないか。
ぼくは小さくなりながらコクコク頷いて、「次の企画もあるらしいから……」としか言えなくなった。全員、メインに据えて書くことをぼくは約束させられてようやく解放されたんだ。
お題も見ていない状態で「次の企画」とか言わなきゃよかったよ。だってあまりにも、あまりにもハードルが上がるお題だったから。今度こそぼくはセクハラで訴えられるんじゃないかと思って仕方がないんだ。
……ああ、次の企画のお題はなにかって?
それがね。
「男女反転」または「女性優位」。
──しばらくぼくは、アントワン三世を女性にするか、アントワン三世が女性陣に攻められるか、どっちがマシかな、と遠い目でお題を見ることしか出来なかった。
(おわり)