第1話 ブルノー・ボスカルの功績
2026/04/11 01:15 公開
ブルノー・ボスカルの功績 また如何にして彼は表現の自由の守護聖人と呼ばれるようになったか
ブルノー・ボスカル
[人名]大改革期の政治家。[XXXX-XXXX]
ジュール・レスパンと共にルロワ朝末期から大改革期にかけて指導者として活躍し、サンテネリに立憲制を定着させた。その業績から大組織者、表現の自由の守護聖人とも呼ばれる。
ブルノー・ボスカルについて辞書を引くと、だいたいこのような表記に出会うことになる。
大組織者の二つ名については異論を持つものはいない。
盟友ジュール・レスパンの右腕として実務面から共和派をまとめ上げた組織力、また盟友亡き後に組織の混乱を許さなかった指導力、王党派と交渉し政体を立憲君主制に軟着陸させた統率力を評価しての二つ名である。
ではもう一つの二つ名、「表現の自由の守護聖人」とはどういうことか。
それはサンテネリ大改革期において、彼ら共和派がどのような政治手法を取ったかを説明する必要がある。
共和派が政治の主権を握った大改革期において、共和派は熱心にルロワ朝への攻撃を行っていた。
当然である。現政権の正統性を訴えかけるのに一番手早い方法は、前政権の失策をあげつらうことだ。
彼らは攻撃対象をグロワス十三世に定めた。
王朝が政権を失った直接のきっかけは十四世の失策にあるため、順当に考えれば攻撃対象は十四世になるべきである。
だがグロワス十四世は亡命先の新大陸で英雄的死を遂げたことにより、当時すでに政治的にアンタッチャブルな存在となってしまった。
目立った業績がなく、庶民人気もなかったグロワス十三世は、そういう意味では格好の攻撃対象であったと言える。
共和派の面々はグロワス十三世に対する攻撃を、物語の形で行うことを選んだ。
人口に対する訴求のしやすさと、責任回避の論理を持たせるためだ。
「ああ、市井には過激な物語が流通しているようですね。ですがあれらはあくまで架空の物語であり、現実の人物に関係はないでしょう。現実となんら関係のない物語が誰かの名誉を傷つけることはありえず、仮にそう感じたとしても──それはあなたの錯覚に過ぎない」
この発言はジュール・レスパンがとある夜会で言った言葉とされているが、これは奇しくも出版元が抗議に対して返答した言葉と一致する。
また史料を精査すると、出版会社とブルノー・ボスカルの生家であるボスカル商会との間に強い資本関係があることも分かる。この二点を無関係というのは困難だろう。
さて、共和派の主導により流通していた物語は概ね一つの類型を示す。
酒色に耽溺し残虐にして愚昧な架空の暗君が、王宮に美しき姫君を囲い込み、凌辱の限りを尽くし、英明なる臣下を排斥し、やがて国を傾けるというものだ。
そのほとんどは三流といっていい出来栄えで、今でいう安っぽい官能小説そのものであったが、いくつかは審美に耐える傑作を生みだした。
そのほとんどは、小説家マルキ・ド・サダイユの手によるものである。
サダイユは極端な性的倒錯や暴力を描いた著作で知られる小説家である。緻密な論理構築と過激な性描写で独自の文学世界を展開した。彼の作家生活を支えたのがブルノー・ボスカルであったのだ。
サダイユはルロワ朝末期、監獄に収容されていた。過激な創作と言動によるものである。
だが「投獄の故なし」として大改革期に釈放され、共和派に保護された。
そしてボスカルが彼に仕事を与えた。小説の執筆を依頼したのだ。条件はふたつ、醜悪な暗君が登場すること、そして大衆が読める娯楽小説であること。
これに関してはサダイユの手記に明確に記されているのが確認されているため、おそらく間違いのない事実としていいだろう。
同時期のボスカルは他にも素養のあるものをライターとして囲い込み、彼らの生活を保護し、小説や新聞の執筆に従事させていた。
その中でも一番精力的だったのがサダイユである。
サダイユは変名を使いながら百を超える小説を執筆し、ボスカルは彼を支え、ボスカル商会の影響力を行使して彼の作品の流通させた。
サダイユがこの時期に執筆した小説のうち、以下の二本が白眉の出来と評価されている。
清廉と美徳を旨とする異国の美姫が残虐な暗君に見初められ、本人が望まぬまま妃とされ、逃げ場のない宮殿において美徳で立ち向かおうとするも、暗君の手により凌辱の限りを尽くされる「美徳の不幸」。
そして逆に悪徳の道を選んだ貴族の少女が自ら望んで暗君の妃となり、持ち前の知略と冷徹さで権力者たちを翻弄し、莫大な富と快楽を手に入れる「悪徳の栄え」。
この二篇の小説は過激な内容で常に批評を浴び、その先鋭的な哲学で常に評価をされ、そして卓越した表現力で読者に愛されてきた。
その内容故に、サダイユの身に危機が迫ることも少なからずあったようだ。だがそのたびにボスカルは彼を保護し、法的な潔白を立証し、執筆を続けさせている。
彼とその仲間たちが裁判で主張した内容は特に表現の自由に関する裁判では現在でも先行判例として参照させている。
作家を保護し自由な活動を保障した事、それを法学的な見地から論証して見せたことにより、ブルノー・ボスカルは現在「表現の自由の守護聖人」と呼ばれるに至った。
余談ではあるが、王党派も同じような手法で共和派を攻撃しようとした形跡はあるものの、史料を見る限り計画は頓挫したようだ。
理由はいくつか考えられるが、攻撃するのにちょうどよい象徴的存在が不在だったこと、そしてサダイユほどの力量ある作家を確保できなかったことが主な原因だろう。
最後に、サダイユらの執筆したこの一連の作品群は当時からブルノー文庫と呼ばれていた。
ボスカルの手記を見る限り、この呼び名に不満があったようだが、そうなった経緯は不明だ。一方で晩年には政敵を相手に「あなたの話を知り合いの小説家に紹介してもよいだろうか」と発言するなど、この作品群の影響力を便利に使っていた部分も見られる。
ブルノー文庫作品は現代でも出版され続け愛読者を増やしている。その創作活動を支え保護したという功績で「表現の自由の守護聖人」と呼ばれていることを泉下のボスカルが知ったら、さぞ複雑な表情をするだろう。