タテガキ

1第1話

2026/06/26 23:17 公開

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   高貴なる者の義務noblesse oblige
            scranble
「おるかーーーー????」
「なんですいったい」
「マラソン走るぞ!マラソン!!」
「いいかも知れませんね」
「茉莉!?」
「兄さん、最近お腹が出てきたでしょう」
「……いやそんなことは」
「どれ失礼(むんず)……三代目、これはいかんな!実によくない!茉莉も、ほら確かめて見ろ!これが中年太りというものだ」
「では私も……予想通りプヨってきてますね。青佳さんにも伝えないと」
 それは勘弁してほしい。ますます食事に気を使わせてしまうのは本意ではない。
「では一緒にジョギングから初めましょう」
「三代目は運動が足りんからな。茉莉ちゃんと一緒なら楽しかろう?」
 リードを咥えた犬を放ってくる強面。
「ほら、運動着とか靴とか……準備がね、」
「では買いに行きましょう。私が見立ててあげます。ジムは私の契約しているところを使いましょう。私の招待枠が使える筈です」
「茉莉、ちょっと待って茉莉」
「何だ何だ、三代目は随分往生際が悪いな!」
「やめてくださいよ、叔父さんまで。第一ぼくは走るなんて一言も」
 ぼくのささやかな抗弁はそこで断ち切られた。
「……私と運動するの、兄さんは嫌ですか?」
 きゅーん、と。
 悲しげに鳴くゴールデンレトリバーの姿が、茉莉の後ろに見えた気がした。
   ーーー
 そういうわけで、スポーツ用品店で待ち合わせ。
「私の見立てによれば兄さんは〝青〟がお似合いです。そうしましょう」
「ジャージはこの赤線の入ったものがいいですね」
 そうなのかな?どうもこの色の組み合わせは母校を想起させるものがある。ネクタイでアピールする人、いたよ。体育会系。
 結局、茉莉さんの見立て通りに上下一式買い込んできた。もう降参して、ジムに直行だけは勘弁してもらう。
「代わりと言ってはなんですが、皆さんに報告してください」
 逃げ道を塞ぐのが上手いな。
 写真を共有すると、「お二人だけでお買い物に?」「エストブールの試作スマートウォッチを」と好評だ。
   ーーー
 翌日、知子さんからお誘いの電話があった。
「せんぱい、ラウンド○ンに行きませんか?ジムで黙々と走るよりもスポッチャで遊びながらの方がいいと思います!」
 うん、あのね。
 もうおじさんはね、あふれでるわかさについていけないんだ。
「今度、みんなを誘って行こうか。ああいうところは大人数で行くものじゃないかな」
 周りの目を考えると、二人だけではとても無理だ。
「こんど!こんどですね!約束しましたよ!」
 ……これは問題の先送りというやつかな。
「お揃いの上着も用意しておきますね。たのしみ!」
「え?」「(^^) は?」
 電話の声が漏れ聞こえたのか、料理中の青佳さんの声が冷たく感じた。
   ーーー
 かくしてぼくの生活に運動が忍び寄ってきた。
 週イチ、ジムに引きずられていく。
 しかも茉莉さん、最初はオシャレ運動着でくるものだから、慌ててジャージを着てもらった。当然お揃いになる。
 ぼくは走る。この豪華な牢獄(ジム)で。
 所定距離を終えるまでは解放されない。バリキャリの隣で……
   ーーー
 ある週末には、青佳さん同行で、川辺へ。
 保冷バッグにスポーツドリンクを入れて積んだ自転車で来てくれた!やさしい……
 ぼくの体が許容できる範囲内に、何回か試した結果として落ち着いたコースを、青佳さんの漕ぐ自転車と一緒に走る。運動が気持ちいいのか、青佳さんと一緒の時間が気持ちいいのか……なんだかね、呼吸が合うというか、ぼくのことをぼくよりもよく知っているんじゃないかというか、そんな気持ちになることがある。
 おやっ、途中のこの橋、ベランダの代わりになる〝都合がいい〟場所では?なんて思いながら少し休憩したときには、
「社長がお気に入りのようですから、定期的にお散歩に来ましょうか。お供します」
 ひとりになれない……やさしくない……
   ーーー
 またある週末には、アナリースさんが家までやって来て、「試作品の動作確認です」「データは大事です」と言いながら、(本当にぼくに着けさせた)試作スマートウォッチをご持参のノートパソコンに繋いでいる。
 しかしスマートウォッチってそう簡単に作れるものなのかな?凄腕の時計師にかかれば電子工作も朝飯前なんだろうか。もしくは、フランスの凄い大学Sciences-Poでは当たり前のスキルだったとか。
「そもそもスマートウォッチって、本物の腕時計と比べたら邪道というか、時計師の人たちとしてはあまりその、良く思っていなかったり……」
「あなたが私にしてくれた事を思えば、その程度は問題になりません」
 そうかな?
「それに、あなたの鼓動、歩み、体温……それらを、数値とはいえ、独り占めできるように思えるのです」
「それはなかなか気分が良いものです。たまには私だけのあなたというのも、よいでしょう?」
 そうなんだ。放牧されていると思ったら、GPS付き首輪で管理されてて、いよいよ毛を刈られると気付いた羊の気分。
   ーーー
 毎年キャンパスでやっている、母校の同窓会に行くことになってしまった。別にそんなに行きたいわけじゃないけど、やっぱり叔父さんが突然現れて、肩を組みながら車に乗せるのだから、ぼくに選択肢というものはない。
「人脈作りも大事だぞ。お前、友達はいるのか?商工会とかの付き合いを断ってないだろうな?意外なところで意外な人と出会ったりするだろう」
 お飾りの社長が作った人脈なんて、あまりいいものでもないんじゃないか?イケイケな気持ちで謎の広告を打ってしまった記憶がよぎり、ついつい渋い顔になってしまう。
「深く考えなくていいんだよ。懐かしの学舎まなびやを再訪して、思い出を語り合ったりすればいいんだ。どのメシ屋に通ったとか」
   ーーー
 会場のキャンパスには、銀杏並木の下に、たくさんのテントが並んでいて、さながら大学祭の様相を呈していた。違いは、それなりの社会的地位をお持ちに見える方々が、やたらと楽しそうに出店していること。ついつい彼らの手元、腕時計を目で追ってしまう。
「先輩、奇遇ですね?こういうのあまり好きでないと思ってました。自宅でワイン片手に読書している方がよっぽど」
 突然、由理くんが声をかけてくるので、ギョッとしてしまった。ちょっと変装して、周りの雰囲気に溶けこもうとしている。目立つけど。お嬢さん方とか、妙齢のお姉様方とか、チラチラとこっちを見ている気がする。
「偉大なる叔父上のお導きとあれば致し方ないものさ。きみこそ、こんな人混みで気づかれでもしたら大変なんじゃないか?」
「俺が、一人の社会人が、母校の同窓会に気まぐれで訪問しているだけですよ。そういう扱いをしてくれるくらいの度量はあって然るべきでしょう、我らが同窓生は」
 実際、有名人の関係者が入学したなんて話はよくあることで、そうそう騒ぎ立てるようなことでもない。はずだ。
   ーーー
「ワッハッハ!どうだ〜すごいでしょー!」
 なんだか賑やかだな。近頃はやりのeスポーツというやつらしい。カウンター技を決めてご機嫌になっているプレイヤーがいる。
「やったー!勝った勝った!対戦ありがとうございましたっ!」
 あんなに素早くボタンやレバーをガチャガチャさせて、ちょっとでも相手を上回ろうとする、確かにある種のスポーツと言っても良いのかもしれない。
「ウェッヘッヘッヘ、あ、なんかすいません、いつもの癖が出ちゃって……」
 試合の席から離れてきた彼女と突然目が合ってしまった。バッチリと。
「面白い笑い方をされるんですね。ところであのゲームは長くおやりに?」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいです。そんなにずっとやっているわけではないです、でも何ヶ月も練習していて」
「何ヶ月も続けている!それは素晴らしい!努力されることはなんであれ尊いですね」
「先輩、俺だって小説を書き続けていますよ」
 それは突然話していいことなのかな?
「実はワタシも小説を書いていまして……」
 おやおや。意外な共通点。
「そうだ、いい時間ですから、お昼ご飯を一緒にいかがですか?」
 そこそこ時間も潰せたし、そろそろ叔父さんとも合流してもいい頃合だろう。
   ーーー
 キャンパスから駅を挟んで反対側の喫茶店で合流することになった。文筆の同志が集まってカフェにたむろするのは、いつの世も変わらぬ法則だ。文学的な議論はどこへやら、最近の憂いごとである運動の話題になってしまった。
「小説書きと、ゲームの練習とで、家にこもってばかりなんです。だから運動不足で……」
「俺はまあ、日頃の節制の範囲ですけど、先輩はいかにも運動不足でしょう」
「最近は皆さんのおかげで、少しはマシになったよ。持つべきものは友人だね」
「おっ、そうだ、いいことを思いついたぞ!君たちもこいつと一緒にマラソンを走らないか?いい運動になるぞ」
 !!???
 100メートルすら走れない、か弱いアメ子が……はし、る……???
「意志あるところに道は開ける!悩む前に実践!カレンダーによく書いてあるだろ?」
 この分だと、どうやらぼくだけが困らなくてもいいのかもしれない。そう思ってメッセージアプリの連絡先を共有した。
   ーーー
 約束を果たすのは大事だ。相手が大事な人であればなおさら。こちらの弱みを握っている人には、逆らえない。だから約束通り、四人とも誘ってアミューズメント施設に来た。
「せんぱい、とても賑やかでいいですね!運動のために来たのですから、バッティングセンターですか?バスケットボール?それとも王道のボウリングでしょうか?」
 周りの目線が厳しい気がする。アラサーに美人四人が連れ添っているんだ。普通そんなことあるのかな?しかもぼくともう一人はペアの上着を着ている。心なしか他人以外の目線も痛い。
   ーーー
「兄さん、これはどうですか?座っているだけで健康になれるらしいですよ」
「そ、そう。もうクタクタだから。助かるな」
「この椅子っぽいところに跨って座るんです、馬に乗るみたいに」
 え?馬に?乗ったことないけど。
「あ……まずはバイクとか自転車に乗る時の格好になってください」
 はい。乗った。
「次はそのあぶみ……輪っかに足を掛けて」
 ここかな。
「はいスタート!!」
 ああああ!!揺れる!グラグラする!
「背筋伸ばして!お腹に力入れて!」
 無理無理無理!笑ってないで!
「助けて!」
 ハッと我に帰った顔でスイッチを切ってくれた。ひどい。いきなりこんなことを……
「……兄さん。ごめんなさい」
 もう足がプルプルしている。ほんとうに。
 茉莉さんも横を向いてプルプルしている。急に子供みたいなことをして、子供みたいな反応をしている。なんなんだ。
   ーーー
 こうしていくばくか運動というものに慣れた頃合いで、巌叔父さんが勝手に参加申込を完了していることが判明した。スマホが震えてメッセージの着信を伝える。
「〝持てる者の義務〟だよ。社会に還元しなけりゃならん!」
 なにを還元するんですか?
「社長というのはそういうものなんだ。皆と共に汗を流し、苦労をしているさまを見せるものだ。」
 大いなる不正!サンテネリでならともかく、真なる一市井の民として生まれたこの身にすら、あの忌まわしい貴族の血は付き纏ってくるというのか!
「仮にパフォーマンスであったとしても。それで人々が安らぐのなら。この人を神輿に担いでやっていけると信じさせなけりゃならん」
 由理くんがなにやら言いたそうな顔をしているような虫の知らせが届いたが、諦めたほうがいいよ。この人は絶対に動じないから。心から良かれと思って、事を進めている。
「本番まであと一月ひとつきだ!楽しみだな?ともかくもっと練習しておけ。行き倒れなんてことになったら下川の姐さんにも怒られちまうから」
 ぼくらのことを案じてくれているようでもある。だからやっぱり無下にはできない。
   ーーー
 おまけがついた商品って、そそるものがある。世の中には時計と万年筆がセットになった商品というものがあるんだ。
 この手の物は限定品と相場が決まっている。
 よほどの強運で抽選の当たりを引くか、もしくは日頃からの「お付き合い」の成果で現物を割り当てておいてもらうか、あとは下品な話、金に糸目をつけず、ありとあらゆる経路で取り寄せるかだ。
 「お付き合い」の様子をマラソンに例える人もいるくらい、入手困難と相場は決まっている。まさか、それが文字通りのマラソン大会の副賞になっているだなんて。こんなところでお目にかかるとは。
   ーーー
 時間が経つのは速い。日々の業務、生活、ささやかな楽しみ(もふもふの友よ、もしくは麦のやつ)、そして義務付けられてしまった運動。日々定まってしまった習慣を繰り返すうちに、一月ひとつきというモラトリアムはとろけるように消えてしまった。ぼくはもっと時計の針を見張っているべきだったんじゃないか?ああ、確かにタイマーはそれなりのものだな。時計も作っている、競馬のレースでロゴを見せびらかしているメーカーだ。
 そんなことを考えていたらスタートの号砲が鳴った。周囲の人たちが走り出したところを見て、釣られて走り出す。別に一等を目指す必要はないんだ。周りについて行ければ十分だよ。自分のペースで走ろう。由理くんもアメ子さんも、ぼくを置いてけぼりにするほど足が速いということはないだろう……
   ーーー
 どうしてボクがこんな目に?格ゲーのランクを上げ続ける配信だってこんなに辛くはなかったよ!家で座って賑やかにゲームをしてるだけに見えるって?配信なんだから!黙ってたらリスナーだって増えないよ!輪っかを持ってモモアゲ!?そんな!過酷なゲーム!続かない!苦しい!ギャ〜!!もうリタイヤする!!
    ーーー
 モデルという稼業だから、体型維持のために運動くらいはしているし、この程度の距離ならタイムを気にしなければ余裕で走り切る自信はある。よほどのことがなければ無事にゴールできるだろう。
 若さや健康というのはある種の特権であることは間違いない。それを認めるとしても、世界は不正で溢れている。だが、「物語」くらいは公正であって然るべきではないか?
   ーーー
 とっくに息が上がっている。酸素が足りない。脇腹が痛む。一体全体どうしてぼくがこんな苦労を?しなけりゃならないんだ?望んで得たわけでもない地位のために。時計に目が眩んだ罰なのか?
 沿道で四人が応援してくれているのが目に入った。うちわまで準備しているとは!
 〈はしって!〉〈はしって!〉
 幻覚だろうか? 四人ともみなドレスを着ている。一面鏡張りの宮殿にいるみたいだ。キラキラとうちわのラメが光って……

「社長!」
「兄さん!」
「せんぱい!」
「あなた!」

「「「「は?」」」」
   ーーー
 結局ぼくはゴールまで辿り着くことができなかった。皆さんに心配されつつ、車でゴールまで連れて行ってもらった。
 由理くんは、完走した。顔がいい、大ヒット小説も書ける、運動まで出来る、羨ましい限りだ。その上、順位賞とやらで賞品の時計と万年筆を手に入れている。うう……
「先輩、俺はね、現物が大事とは思わないんです。俺たちが今日ここで共に走ったという事実があればいい。俺は皆さんと喜びを分かち合いたいんです」
 え、貰っていいのか?
 でも、ぼくはなにもしてないのに。
 また、掠め取ろうとしているんだ。
「万年筆、欲しい……こんなチャンス滅多にない……」
 アメ子さんは正直でよろしい。ぼくも真似して少し正直になってみようかな。
「その時計、貰ってもいいかな……」
「他ならぬ先輩の頼みとあらば、喜んで差し上げましょう。〝思想の王〟たるもの、分かち合える物質は分かち合ってしまうべきだと思っていますから。博愛の精神で」
 とにかく疲れていて、気の利いた返しが思いつかないんだけど……
 そうだ、夕飯にみんなで唐揚げを食べよう。この気分は分かちあえない。ぼくは自分のぶんを食べるんだ。
                《終》
   謝辞
 原作著者であるところの本条謙太郎先生、読書会配信でストーリーのキッカケを与えてくださった焚火アメ子さん、同じくリレー小説を始めるキッカケである馬酔木波濤さん、拙いリレー小説形式にお付き合いいただいたピザの斜塔さん、最後にここまでお読みいただいたあなたに、感謝申し上げます。
    サンテネリ建国記念祭に賑わいあれ
       西暦二〇二六年六月二十七日