タテガキ

1種の芽吹くとき

2026/04/10 16:11 公開

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 少年は図書館を愛した。図書館に行って図鑑を読めば世界を読むことができる。そう考えていた。とはいえインターネット全盛期に敢えて図書館で図鑑を読んでいたのは、紙の本にこだわりのある愛書家であったからではない。単に家庭の事情でインターネットが利用できなかったからだ。家にパソコンはなく、スマートフォンなどという便利なものも当時まだない。だから彼は、町屋由理少年は図書館に通っていたのであった。大学に進学して文学部に通う、などという後のことは当時の彼には知る由もない。
 彼が「回心」して初めて読んだ、あの忘れもしない「この国のしくみ」という子供向けの本が、彼に図書館というものの魅力を強く刷り込んでいた、ということはあるかもしれない。そう、彼にとって、町屋由理でありジュール・レスパンである彼にとって、図書館はとてつもない知の宝庫に感じられていたのだ。もしその時の彼がインターネットにアクセス出来ていたのなら、もしかしたらそれを通じて世界とつながれるという奇跡の方に心を惹かれていたかもしれないが、それは仮定の話に過ぎない。

 さて、かつてジュール・レスパンだった少年は、前世で追い求めていたことが正しかったことであり、そして今を生きるこの時代にはそれが完遂されていると考えた。そして目的を失った。と、いうことになっている。少なくとものちに彼が出会うことになる先輩にはそうとしか話さなかった。
 だが、由理少年も日本で義務教育を受けるのであるから当然ながら社会科の授業を受けるのである。中学三年生・公民。社会科のその単元で、彼はかつての夢が完遂されていないこと、そして自分にはまだすべきことがあることを知った。いや、その時はまだほんの小さな疑問という萌芽に過ぎなかったが、しかしそれはこの後数十年してから大きな花を咲かせる芽であった。
 つまり、この国には、かつての「友」の故郷であったはずのこの国にはまだ「王」がいることを。そして、彼の過ごす小さな世界のその外側には、まだまだ大いなる「不正」が残っていることを。
 だから彼は図書館で政治や思想、社会運動にかかわる本を乱読した。最初は子供向けの伝記から始め、すぐに区立図書館の書架に眠るカビの生えた翻訳書を読むようになった。 
 ゲバラやトロツキーの壮大な野望に共感し、マルコムXの勇気に昔の自分を重ねた。その一方でガンジーやキング牧師のとったかつての自分には考えもつかなかった道に感銘を受けもした。そして彼は歴史の本も読んだから、ロベスピエールやスターリンの過ちに心を痛めもした。
 そしてここで彼は気付いた。かつて唯一認めた「友」がいかに偉大であったかを。ルロワンを汚名の象徴とすることなく、王の身にありながら彼を偉大な大義の道に導いたことを。「友」の、グロワス13世の真なる偉大さが、かつての自分が死んだ後に二人の息子によって発揮されたことを町屋由理が知るのは、だいぶ後の話になる。
 この時点で幸運だったのは、彼がインターネットにつながっていなかったことであろう。すなわち過去の様々な思想家や活動家と本を通して対話することはあっても、現役の活動家からは隔絶されていたという意味で。あの頃のインターネットというものは、いささかアングラなものであったゆえに、そのような可能性もあったのである。

 ともあれ、由理少年は由理青年となり、この世界の不正と不義をただす政治家や弁護士への道を選ばず、文学と哲学の研究に没頭する大学生活を送ったとされている。ここまでが巷で語られている町屋由理の、つまり由理・レスパンがモデルとして世に出る前の人生である。
だが彼は、由理・レスパンは大学生の時に出会ったある中年男の言葉をずっと周囲に伏せていた。世界を変えるためには他者を巻き込め、あなたの想いを上手く実現せよ、という。
 晩年の由理・レスパンはこう語っている。僕の想いを実現するためには、彼のことは伏せなければならなかったんです、今度こそ慎重に、平和裏に、善き世界に進むためには、と。

 さて、世間でよく知られているように文学部生・町屋由理は、大人気モデル・由理・レスパンとなった。そしてモデルとしての活動の傍らひっそりとWebに小説をアップロードし、そして大人気作家となった。
 だが彼の出世作である「この人を見よ」に、4人の猛烈な批判者がいたことは最近まで知られていなかった。彼が残した日記が没後数十年たって再評価されるまでは。もちろん、今の我々は知っている。彼と……ジュール・レスパンと同じ世界から来た4人の王妃たちのことを。多次元宇宙論が定説となった今では、かつて小説の草稿だろうと考えられていた大量のノートが由理・レスパンの日記であったことを我々は知っている。彼がかつて双子世界の偉大な政治家だったことも。
 由理・レスパンのことを我々はどれほど理解していただろうか。モデルであり作家。その作風は初期においてはいわゆる大衆娯楽文学であったが、今でも「この人を見よ」と対で語られる「地に落ちて死なば」のヒット以降は哲学的で思索的な作品を数多く書くようになり、文学賞をいくつも受賞した。そして今ではこちらが有名な、社会活動家として運動に傾倒していった。一般的にはそう理解されている。
 その一方で大衆文学もライフワークとして書き続けていたことは、あまり知られていない。だが彼のあとを追いかけた世代の社会活動家や政治家、学者などいわゆるオピニオンリーダーたちが若き日々に愛読していたのは、彼が二つ目の変名で小説投稿サイトに載せていたウェブ小説であった。長い不況の時代、無料で手軽に読めるウェブ小説は若者たちの大きな娯楽だったのだ。とりわけすぐれた知性を持ちながら、生活環境ゆえにそれを腐らせざるを得なかった若者たちにとっては。
 その頃が、今では当たり前である自動翻訳アプリが急速に普及する時期であったということも若者たちに味方した。由理・レスパンはもっぱら日本語で執筆活動を行ったが、しかし彼が投稿サイトに掲載した小説は自動翻訳によって世界中で読まれた。そしてかつて彼が図書館で受け取った思想の種を、世界中の、とりわけ困難な状況にある若者たちに植え付けた。
 長い間、由理・レスパンの国際社会への貢献はその社会活動だとされていた。しかし、本当に大きな貢献は娯楽小説にあった。世界中のどこからでも無料で読める、日々のちょっとした楽しみになる気軽な読み物。そしてそうであると同時に、人類の抱える不正と不義について考えるという、ちょっと背伸びした行為を行いたくなる読み物。それこそが彼が果たした社会への貢献。先輩に言われたところの、世界を変える上手いやり方だった。

 さて、ここまで由理・レスパンについて述べてきたわけだが、ここでもう一人の登場人物が現れる。彼の先輩、「地に落ちて死なば」の作者である。つまりグロワスとして知られる人物である。
 作家として同時代にはそれなりに人気であり、没後は偉大なる由理・レスパンの出世作「この人を見よ」の後追い作家としてしか知られてなかった一人の男。それが今広く注目を集めているのはレスパン日記が真実の記録だとわかり、彼が由理・レスパンの多岐にわたる活動大きな影響を与えたことが判明したこと。そして何よりそこに記された彼の前世がただの妄想でなかったとわかったからだ。
 ここにきて無名作家は由理・レスパンの思想的先導者として、そして「サンテネリ語入門書」の執筆者として大きな名声を手に入れた。彼が、彼の周りに集まった4人の女性、かつてサンテネリで王妃であった四人の女性と母語で会話するための自習用に執筆して、架空言語の紹介としてひっそりとインターネットの海に放流された文章。つまり今から旅だとうとしている者たちすべてにとって手引きであった文章。
 第十五次多次元探索隊にして第一次訪サンテネリ使節団が旅だとうというこの時に、我らが人類共同体の思想的支柱である由理・レスパンについて書いたのはつまりこういうことである。彼が使節団がむかう世界、通称サンテネリ世界においても偉人であると推定されるからだ。
 願わくばサンテネリ共和国枢密院主催者・グロワス・ルロワ並びに世界政府首班ユリス・レスパンとの会談が成功裏に終わらんことを。そして次元船に積み込まれた大量のアルパカが、この上ない贈り物として受け入れられんことを。

西暦に千七十五年八月。双子世界が一つの偉大なる精神でもってつながるこの良き日を祝して。