タテガキ

1馬場の光はすべて酒

2026/06/25 20:22 公開

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 兄さん、お久しぶりです。お元気ですか。私は卒論も提出し終わり、大学生活最後のモラトリアムを送っています。K大卒の兄さんには申し訳ありませんが、W大での生活はとても楽しいものでした。兄さんがあまり好きじゃないのは知ってますけど、飲み会ってやっぱりいいものですね。
 実は昨日も……正確にはこの手紙を朝に書いているほんの二時間前までですが、馬場で飲んでました。応援部の追いコンに混ざってきたんです。夕方から店で飲んで、二軒目に行って、三軒目にも行って、それから駅前で飲みました。終電の後ですから人通りもないですからね、迷惑にはなりませんよ。それにW大生が駅前で飲んでいるのは馬場では日常ですから、誰も気にしません。
 私も初めて飲み会に行った時は怖い思いをしました。インカレサークルの新歓に行ったら、先輩たちが隠れて話しているのを聞いてしまったんです。早く全員潰して持ち帰るぞ、って。大丈夫ですよ兄さん。心配しないでください。なにもありませんでした。ただちょっと余興で飲み比べをして、気づいたら私しか起きていなかっただけです。
 そのあと週末をはさんで大学に行ったら、学ランを着た男たちに取り囲まれたんです。みんなベルトの代わりに荒縄を使って、そんなやんちゃな格好をしてるのに姿勢よくたつんですよ。そう、W大名物応援部の先輩方です。そのまま部室に連れていかれて勝負をすることになりました。
 大丈夫ですから、心配はいりませんよ。ただの飲み比べです。新入生に蟒蛇がいると聞いて、戦いを挑みに来たんです。一升瓶をどれだけ早く飲み干すか、そういう試合でした。命をかけた真剣試合です。相手の先輩方にとっては、でしたが。
 一対一の戦いのはずが、私があまりにもあっさりと勝利したので次の相手が現れまして。それに勝ったらまた次、また次。院生が来てOBが来て、教授を倒したところでもう誰も挑んでこなくなりました。その代わり応援部への勧誘は断りましたけどね。私の夢見ていた大学生活とはかけ離れていましたから。
 でも結局応援部とは長い付き合いになりました。女の子を潰していかがわしいことをしようと考える悪いサークルがW大にはあったわけですが、そこの飲み会に混ざってくるように応援部の人たちに頼まれたんです。私なら潰されないだろうから、現場を取り押さえるための潜入捜査をしてほしいって。まぁ結局私が男どもを全員沈めてしまったんですけどね。突入の為に待機をしていた応援部の人たちが、苦笑いしながら介抱の名目でその人たちを連行してきました。事後処理が終わってから明け方に馬場の駅前で飲みなおして、輪になって校歌を歌ったのは実に懐かしい思い出です。
 そんなことが何度も続くうちに、応援部の飲み会に顔を出すようになったわけです。実は兄さんには内緒にしてましたけど、就職先も応援部関係なんです。OBの方に先輩訪問をさせていいただいて、いつの間にか内定がとれてました。企業戦士に一番必要な根性と体力があるっていうんで、応援部は就活で強いんですよ。兄さんが一番嫌いそうなやつですけど。
 でも何だかんだ言って兄さんもお酒は好きですよね。家庭教師をしてくれてた時、大鍋でラーメンを食べてからの酒盛りがどれだけ楽しかったか話していたのを私はちゃんと覚えていますよ。でも駄目ですよ、お酒は体に悪いんですからね。本当に体にはお気をつけてください。
 でもそれはそれとして兄さんと飲みたいです。卒業祝いに飲みに連れて行ってください。いいお返事を待っています。   
                   茉莉


 大学生らしい可愛い便箋に手紙を入れて、押入れの奥に戻した。六年前のあの日からこの手紙の定位置になっている場所に。
 結局兄さんにこの手紙を出すことはなかった。徹夜で飲んだ後のハイテンションと三割頭でついうっかり書いてしまったが、兄さんには読ませられないことが多すぎる。知られるわけにはいかない。私が「マーライオンを導く馬場の女神」「合コン女子の守護騎士」「千の盃を干す女」なんてあだ名で呼ばれていたことは、けして兄さんに知られるわけにはいかない。
 そもそも兄さんは私が酒に弱いと思っているのだ。私がそう思われるようにふるまっているから。缶ビール一本で寝る女だと思わせてるから。だってそうすれば、兄さんに体を押し付けて寝ていても、お酒のせいにできるから。
 バロワの姫として過ごしていたころは、兵士たちの酒盛りに混ざりたくて仕方がなかった。あんなに心を開いて会話ができる時間は私にはなかったから。娘から士官学校でそういう時間を過ごしていると聞いたとき、正直うらやましくてしょうがなかった。娘に嫉妬するなんて悪い母親だろうか。夫と酒席を共にするブラウネはうらやましくなかった。私の求めていた酒席はあのようなおままごとではなかったから。
 でも、今の私は、そういうものを兄さんには求めない。豪快崩落な酒席に顔を出したくなったら応援部のOB会に顔を出せばいい。いい歳した大人たちが、いつでも学生のように、あるいは兵士のように無礼講を楽しんでいる。そこに加われば前世の欲求は充足される。
 だから兄さんには別のものを求める。飲むのは好きだけど強くはない年下の親戚を温かく見守る視線を。酔った勢いで増えるスキンシップに困惑する姿を。若い女の子を見守るような温かく生ぬるい、ままごとのような時間を私は兄さんに求める。昨日兄さんの家でそうしたように。
 今度こそこの時間は私の物。今世では夫を分け合ったりなんてしない。たとえ前世で姉妹のように暮らした間柄であろうと。